「共謀罪」創設なら国民が過度に監視される 警察の権力も司法取引や通信傍受で肥大化
「取り調べの可視化」(録音・録画)を求める声が国民の間に一層高まっている。2007年に富山県の氷見事件が再審無罪、また鹿児島県の志布志事件で被告12人全員が無罪と、冤罪判決が続いたことも無視できない。
筆者も両事件の国家賠償訴訟を支援したが、元被告の人たちは過去の多くの冤罪被害者と同じように、犯罪とは縁もゆかりもない平穏な毎日を送っていた、ごく普通の市民だ。その人たちがある日突然、身に覚えのない犯罪容疑で警察に逮捕された。そして、多くの人が厳しい取り調べを受け、苦しさのあまり自白したとされる。
国賠訴訟では冤罪被害者が警察の違法捜査を明らかにすることは至難だ。たとえ長い年月をかけて勝訴しても、冤罪で失われた人生と名誉は戻らない。冤罪は絶対にあってはならないことだが、誰もが被害に遭わないという保証はどこにもない。
刑事訴訟法改正で警察が手に入れる武器
2016年5月24日、衆議院で「刑事司法改革関連法」が可決・成立した。その内容は、取り調べの可視化を導入しながらも対象を裁判員裁判事件に限定する一方、当初は予想もされなかった、いわゆる「司法取引」「刑事免責制度」の導入と、通信傍受法改正による「通信傍受対象犯罪の拡大」という、捜査機関の焼け太りにつながる結果に終わった。
筆者の試算によると、2015年中に警察が刑法犯事件や特別法犯事件、交通事故事件、道路交通法違反事件(反則切符事件は除く)で取り調べた被疑者のうち、裁判員裁判の対象事件の被疑者はたった0.11%にすぎない。これでは被疑者の取り調べの可視化はほとんど行われないのと同じだ。しかも、警察署の留置施設に被疑者や被告人を長期間にわたって拘束する制度が存続されたままでは、警察による”自白偏重の人質捜査”は何も変わることがない。
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