新幹線が「空を飛ばなくなった」新工場の秘密 検査日数の1日短縮をどう実現したか

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JR東海浜松工場は、現在は新幹線車両のみを対象とした工場となっているが、その歴史は東海道新幹線開業よりもはるか前にさかのぼる。蒸気機関車の修繕を行う工場として開業したのは1912(大正元)年11月。昭和に入ると「デゴイチ」の愛称で知られるD51形蒸気機関車の製造や電気機関車、ディーゼル機関車、電車の修繕などに業務範囲を拡げた。

新幹線車両の検査を手がけるようになったのは、東海道新幹線が開業した翌年の1965年。これまでに計2400編成、3万6000両の新幹線車両を検査してきたという。2011年には在来線車両の検査を終了し、新幹線専門の工場となった。

新ラインが従来と大きく変わった点としてまず挙げられるのは「新幹線が空を飛ばなくなったこと」だろう。従来、車体から台車を取り外す「車体上げ」や、再び合体させる「車体載せ」の作業ではクレーンを使用して車体を吊り上げていたが、新ラインではジャッキを使って車体を持ち上げる方法に変わった。

空を飛ばなくなったワケは

車体上げや車体載せがクレーンからジャッキに変わったのは、作業の効率化や作業環境の改善が理由だ。クレーンの場合、操作には資格が必要で、さらに操作要員も2人必要だった。だが、ジャッキは資格が不要で、さらに1人で操作することができる。

また、クレーンを使った作業では、台車などを外す作業は線路の下のピットに入って行う必要があったが、この作業方法も変わった。新ラインでは車体を持ち上げる際、まず台車の付いた状態で車両全体をいったん持ち上げ、車体をジャッキで支えてから台車を外す。この方法だと、立った状態の高さで作業を行うことが可能だ。従来は人力で行っていた、取り外した台車の移動も、リモコン操作の動力車を使って移動させる方法に変わった。

機械化された先頭部の研ぎ作業。左右3本ずつのアームが複雑な形状の先頭部を研ぐ(撮影:小佐野景寿)

車両の塗装作業も変わった。大きな変化は、塗料の密着性を高めるために行う「研ぎ」と呼ばれる作業をロボット化したことだ。平面的な車体側面は従来から機械化していたというが、複雑な曲面の先頭部は手作業に頼っていた。新ラインではこの作業にもロボットを導入。左右3つずつのアームが細かく動き、N700系の複雑な形をした先頭部を素早く研いでいく。

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