なぜSMAPは国民的アイドルと呼ばれたのか

無言のまま終了した「スマスマ」が伝えたこと

いくつもの本が認識を同じくしているのを見ると「奇しくも」と形容したくなってしまうが、SMAPは平成と重ね合わせて考えないほうがむしろ難しい。かく言う自分も先日、共同通信にSMAP解散をめぐる短い文章を求められ、彼らを平成という時代に重ねたばかりだ(記事タイトル「「国民的」超える切実さ」)。

SMAPというグループは、平成の始まりにあわせるように活動を開始し、平成の終わりが兆したときに解散を迎えることになった。活動期間がほぼ一致しているというだけに留まらず、歌のメッセージや活動のあり方、そして存在感も、平成という時代の世相や意識を色濃く反映したものとなっていった。太田省一は、SMAPは「平成日本社会そのものになった」とまで評価している。

不穏な世相に向き合い、人々にエールを送る存在に

SMAPが平成を背負うことになった要因としてあげられる出来事に、各書で大きな違いはない。

まず前置きされるのは、デビューシングルがオリコン2位止まりで振るわず、挫折感を含んだスタートだったことだ。「ジャニーズの新人でデビューシングルが1位を取れなかったのはSMAPが初めて」というのはメンバーたちもネタにしていたため語り草になっている。だが、1位を取れなかったジャニーズタレントはほかにもおり、「1位を取れなかったのはSMAPが初」は伝説に過ぎないことを、中川と太田が指摘している。

とはいえ売上15万枚がジャニタレとしてはかなり芳しくない数字だったことは間違いない。解散の発端となった『週刊文春』のインタビューでメリー喜多川が「だってSMAPは踊れないじゃないですか」と唾棄したが、パフォーマンスが弱いこともあり、ブロードウェイミュージカルを原点とするジャニーズにおいて、SMAPは傍流だった。

テレビの歌謡番組が消えた90年代に、SMAPはドラマやバラエティ番組に活路を見出し居場所を勝ち取っていった。トークやコントで見せる、従来のアイドルとは異なる親しみやすいキャラクターでお茶の間の人気を掴んでいったわけだが、そのこと以上に、かつてのアイドルなら"従"の立場に収まるしかなかったバラエティにおいて、"主"すなわちイニシアチブを握るに至ったことがどの本でも重要視されている。

同時に、14枚目のシングル「がんばりましょう」が象徴的だが、バブル崩壊とその後の不況、阪神大震災やオウム真理教事件など不穏さを増す平成の世相に対して、団塊ジュニア、ロストジェネレーションと呼ばれる割を食った世代の代表として等身大で向き合い、エールを送る役割を担うようになっていく。

こうした存在感が「国民的アイドル」へと繋がっていったというのも各書に共通する理解である。

その他、木村拓哉が女性誌『an・an』(マガジンハウス)の読者アンケート「好きな男」ランキングで10余年にわたって1位を独占したことや、阪神・淡路大震災や東日本大震災での被災地に対する深慮、ダブルミリオンを達成した「世界に一つだけの花」を携えその年の『紅白』で大トリを飾ったことなどが、SMAPを「国民的アイドル」へ押し上げていった出来事としてあげられている。

SMAPがいつ「国民的アイドル」となったかについては見解が異なっているが、いずれの著者も二つの震災の影響を大きく見ている点は共通している。

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