「折れる力」がない人は40代から伸びない NHK敏腕制作マンの「流される技術」
大抵は、他人に認められたいと思うと、自分の優秀さやよさをアピールしようとします。僕もかつて、はじめての現場に普段はしない眼鏡をかけていって、「知的」な自分を演出してみようとしたこともありました。でも、逆なんです。
自分を認めてもらうには、相手のよさを先に認めることが大事なのです。
「折れる」ことを徐々に意識しはじめた頃の話ですが、ある番組の撮影で、ほかの演出の方のAというやり方と、僕のBというやり方で対立したことがありました。
どうにも膠着した状態が続くこと、3日間。4日目に相手がなおもAを推してきたときに、本当はカチンときていたものの、僕のほうが折れて「Aでやってみましょう」と言いました。結果、それでウケたのです。
自分としては、相手のやり方でウケたことを認めたくないのです。「あっ、しまった。やられた!」と思いました。ですが、さらにその悔しさにも折れて、「おっしゃるとおり、Aのほうでやってよかったですね」と伝えたのです。心のなかは、本当は震えそうなくらい悔しさでいっぱいだったのですが。
すると、そこから相手との関係性が一変しました。相手が僕に物事の判断を任せてくれるようになったり、相談を持ちかけられ積極的に意見を求めてくれたりするようになったのです。信頼してくれたのです。不思議なものだと思いませんか?
折れたことで、相手が信頼してくれるように
僕がしたのは「あなたの意見が正しかった。僕のほうがあなたより能力が劣っていた」と認めるのと同義のことです。僕の意見を折って、先方の意見を通して、それで反響がよかった。その事実をして「Aでウケましたね」と言っているわけですから。
ストレートに考えると、こんなときは、相手が増長して「自分の意見が正しかった。それ見たことか」とさらに自分の意見を推し通そうとしそうなものです。にもかかわらず、逆にこちらの意見を聞いたり尊重したり、頼ったりしてくれるようになりました。対立するのではなく、共闘できる協力関係が築けたのです。
もちろん、その後、信頼関係が築かれ、仕事がうまくいったことは言うまでもありません。
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