「ISと結婚した女性」の写真が語っていること ヤズディ教徒が「悪魔崇拝者」にされた理由

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南麓に暮らすヤズディの住人は北に位置するシンガル山を目指して逃げ、続いて攻撃を受けた北麓の村々に暮らすヤズディの多くは、イラク北部クルド人自治区のその他の地域へ逃げていった。この時、シンガルはイラク北部のニナワ県に属しているが、シンガルの治安維持のために配置されていたのは、クルド人自治政府の軍隊「ペシュメルガ」だった。だが、ダーシュによる攻撃を受けて、兵士たちがヤズディを置き去りにして、トラックに乗り逃げていくのを、多くのヤズディ住人たちが目撃している。

ミシェルは、自宅の壁に掛けられていた緑色のボクジック(ヤズディの家の守り神)を外し、それだけを手にして家族と山へ避難した。「結婚式の時の写真などを収めた思い出のアルバムが3つありましたが、ダーシュに攻撃された時に自宅に置いてきてしまいました」。

その後、ダーシュはシンガル山を包囲した。その結果、何とか山へ逃れることができた数万人のヤズディは山中で孤立することになり、多くの高齢者や子どもたちが餓死していった。ミシェルの6歳の娘も命を落とした。

10ヶ月の息子をゆりかごに乗せてあやす母親のグズィ。「8月3日深夜に村が襲撃され、朝7時にはシンガル山を目指し自宅から逃げました。 午前10時にシンガル山頂に到着すると、突然陣痛が始まったのです」。30分後、山の中で出産した。 現在シンガル山中の空き家に家族と暮らす (写真:筆者)

ヤズディは「悪魔崇拝者」とすら見なされた

ダーシュがヤズディを攻撃の対象にした理由の1つに、彼らがさまざまな信仰を混合するシンクレティズム(混交主義)であると見なされたことがある。本来、キリスト教徒やユダヤ教徒などの“啓典の民”は「ジズヤ」と呼ばれる人頭税を支払うことで、改宗せずにイスラム教国家で暮らすことが許されるが、ヤズディはその対象に入らない。

そのためシンガルが攻撃された際に、ダーシュに捕まったヤズディに残された選択肢は、イスラム教への改宗か死のどちらかだった。また、ヤズディが信仰の対象とする孔雀は、 シャイターン(悪魔)に重なると言われていることから、ヤズディは「悪魔崇拝者」だと見なされることもあった。

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