「部下の力を引き出せない上司」の残念な指示 「正解」を教えてしまうと逆に覚えない
ハイハイができるようになったら、つかまり立ち。つかまり立ちができるようになったら伝い歩き。伝い歩きができるようになったら直立。直立ができるようになったら、歩く。歩けるようになったら、少しずつ走る。当たり前だが、走ることができるようになるまでに、これだけの段階を踏まなければならない。
子育てでは当たり前にしていることを、部下に接する場合にも注意して行う必要がある。それは、成長の段階に合わせて「できない」を提供するということだ。ここまで基礎技術を積んだのなら、次の「できない」を「できる」に変えられるようになるだろう、と見通しを立てて課題を与える。これこそ上司の腕の見せどころだ。
そして親は「できない」が「できる」に変わった瞬間のその都度、「わあ、できるようになった、やったね」と一緒になって喜ぶ。それがうれしくて、子どもは次の「できない」に挑戦する。親は一つひとつの課題を克服していくことだけで驚き、喜ぶ。そんな「待ち」の姿勢でいてくれるからこそ、子どもは親に喜んでもらおうとする。「見守る」ことは、「できる」に変わった瞬間の喜びを強化する、何よりのスパイスだ。
だから、部下が「できた」というその達成感を味わった瞬間に上司であるあなたがすかさず「とうとうできるようになったな」「やったじゃん」と声をかけてみよう。そうすれば、部下は「自分の成長を喜んでくれている」とうれしくなる。成長を見守るというのは、そういうことを言うのだろう。
それを繰り返すと、ほかの職場では「やる気がない」とみなされていた人も、かつて見せなかったようなパフォーマンスを見せてくれるようになることも夢ではない。世界最速の男、ボルトだって赤ん坊の頃はハイハイしかできなかったはずだ。今はよちよち歩きに見える部下も、今後どれだけ成長するかわからない。そんなワクワク感を感じながら、部下を指導できると、上司としても楽しい時間を過ごせるようになる。
部下を指示なしで動かす
部下には、手っ取り早く「次はこうするんだ」と指示をどんどん出したほうが仕事は早く済むと考えている上司は多いだろう。しかし、早そうに見えるその指示が、結果、指示待ちになっていつまでもあなたの手を離れない部下になる原因になる。
部下のモチベーションを「上げる」のではなく「引き出す」方法はほかにはないだろうか? 指示を出すというのは、自分で答えを見つける喜びを奪う行為だ。推理小説を読もうとしたら犯人をばらされてしまうのと同じ。映画を観ようとしたらクライマックスの面白いところを解説されてしまうのと同じ。そんな推理小説は面白くもないし、映画も観る気を失ってしまうだろう。
仕事も実は同じだ。苦労はしても自分で答えは見つけたい。自分の力で仕上げたい。なのに上司がどんどん先回りして指示という名の答えを出してしまったら、自分の創意工夫を発揮するスキマがなくなってしまう。それだと、仕事という名の推理小説、面白い映画がつまらなくなってしまうのだ。
物語にもよくあるだろう。王様になったら、自分では何1つ決めさせてもらえず、ただの操り人形。それでは満足できない王が、ついに動き出す、といったような話。自分から働きかけてみたい。自分から能動的に動いてみたい。自分で工夫して課題を克服してみたい。これを「能動感」と呼ぶとすると、人間はどうも能動感というものを求める生き物らしい。
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