エチオピアに単身渡った日本語教師の矜持 エリート職を捨てて移住した理由

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そのうち、アディスにいた日本大使からメケレ大学で日本語講師を探しているという話を聞いた。「ふと思ったのです。15年前はたったの20歳だったけれど15年後は50歳になる。50歳では人生で大きな変化をもたらすようなことはできなくなる。人生あっという間だと思った」と振り返る。

アクセンチュアでは世界中どこにいても使える「応用のきくスキル」がついたと思っている。「企業でもNGOでも、とにかくクライアントがいて、そのクライアントが事業を進めるうえでのソリューションを出す仕事。組織は違っても必要とされるスキルは同じ」と古崎さんは言う。もしエチオピアで失敗しても、日本に戻ってきちんとした仕事に就けるという自信があった。貯金もあった。エチオピアに戻って日本語講師として働くことを決心し、エチオピアに再度渡った。2010年10月だった。

エチオピアはアフリカ連合(AU)の首都であり、2015年まで約10年間毎年10%に近い成長を達成した国だ。その一方でエチオピアはいまだに最貧国の1つ。停電は頻繁に起きるし、インターネット接続がないことなど日常茶飯事だ。そのようなエチオピアでの生活は楽ではない。まして住んでいるのは地方。在エチオピアの日本人は大使館や国際協力機構(JICA)の関係者など約200人いるが、ほとんどの人はアディスで暮らす。

メケレで手に入るアジアの食材といえば、中国産醤油と中華麺ぐらい。タイ米も10キロ袋なら手に入るが、大量すぎるので買わない。地元で買えるトマトで作ったトマトパスタを1週間食べ続けるなどということも日常だ。「私にはこれがないと生きて行けない、というものがほとんどない。ネコぐらいかな」と笑う。6月から9月まで続く雨期には電気が頻繁に切れるがそれにもすっかり慣れた。「幸い、水はめったに切れないので大丈夫。でもその分、蚊がすごくて。家は日本から持ってきた蚊取り線香だらけです」と言って、大きく笑う。

人生でやりたいことができる場所

古崎さんは現在、日本に住む投資家と大阪でエチオピア料理店を経営しているメケレ出身のエチオピア人とともに、エチオピア北部の観光に特化した旅行会社を設立する計画を進めている。

この地域には海抜マイナス100メートル以下にあることで有名なダナキル砂漠、紀元前5世紀にアフリカ最古の独立国アクスム王国を誇った遺跡がある世界遺産アクスムなど見所がたくさんある。もっとも、最近の反政府デモを受けて政府が10月に出した非常事態宣言により旅行者は激減している。「ツーリズムを始めるには最悪の時期」だが、これもエチオピアならではのリスクとして引き受けるしかない。

日本に帰るのは毎年夏に1カ月間ほど。「だんだん日本が外国になって、メケレが故郷になってきた」と話す。「私が人生でやりたいのは、面白い仕事をすることと、大好きなたくさんのネコたちと幸せに暮らすこと。それがここメケレではできる」。

上野 きより ジャーナリスト、元国連職員

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うえの きより / Kiyori Ueno

ブルームバーグ・ニュース東京支局、信濃毎日新聞社などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部、エチオピア、ネパールで働き、食糧支援に携わる。2016年から独立。慶應義塾大学卒業、米国コロンビア大学院修士課程修了。東京出身

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