授業中の「スマホ使用禁止」は教師の怠慢だ 「生徒が話を聞いて当然」は大きな勘違い
そして、今はスマホの時代だから、スマホを取り上げられて、力ずくで紙とペンを渡されると、とっても不便なわけだ。
上の世代の方が子供だった頃に、紙とペンの使用を禁止されて、筆と半紙とスズリを渡されているようなもの。
「いや、そんなの普段、使ってねーから」だ。
板書をノートに書き写したいヤツもいるし、黒板を写メで撮って、先生の話を聞くことに集中したいヤツだっている。
写メで撮れば、入院して学校に来れない子にも授業を届けてあげることができる。
今の時代、本当はその選択肢があるのに、「これまではこうだったから」というコリ固まった常識で、その選択肢を殺しているわけだ。
時代の流れは止められないから「共存」を目指せ
そんでもって、ここからは先生側の意見。
僕は月に1~2度、大学の講義をしたりしてるんだけど、以前、高校にお邪魔した時に、学校全体が「スマホ禁止」になっていて、地獄的に面倒くさかった。
たとえば『クラウドファンディング』のことを教える時なんて、教科書に書いてあるクラウドファンディングの説明文よりも、実際にクラウドファンディングのページを見てもらうのが、一番てっとり早いんだもん。
「ちょっと、スマホで『クラウドファンディング』って検索してみてー」と言えないことで、バカみたいに回り道をしなきゃいけない。
ちなみに教科書は地獄的に遅れているから、クラウドファンディングのことが書かれている教科書など、そもそも存在しない。
なんでもそう。
たとえば美術の授業で、話が「伊藤若冲の絵」に飛躍した時に、教科書に「伊藤若冲」が載っていなかったら、
「ちょっと、スマホで『伊藤若冲 画像』って検索してみてー」
と言えばいいんだけれど、スマホが禁止されていたら、
「あの……まあ、家に帰って調べてみて」
としか言えない。
現代史なんて毎日アップデートされているのに、数年前に印刷された教科書を使い続けて、まるで現代史になっていない。
人は便利なほうに必ず流れるから、遅かれ早かれ、小学校……下手すりゃ幼稚園レベルから授業中のスマホ使用は必ず常識になる。
時代の流れを止められるわけがないんだから、学校の先生はスマホを禁止になんかしている暇があったら、いずれやってくるその日に向けて、スマホと共存できるスキルを身に付けといたほうがいいんじゃないかな。
テーマは「禁止」じゃなく「共存」。先生、頑張って。
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