その1つは、第二次世界大戦が終結するまで南シナ海の大部分は日本が支配していたこと、さらにそれ以前はフランスが支配していたことに関する証拠だ。この類の資料としてはフランス、中華民国、さらには日本に、関連の公文書がある。中華民国については、『外交部南海諸島档(の繁体字)案彙編』上下巻などがあり、我が国でも閲覧可能だ。これらの文献は政府の立場表明、抗議、政府間の折衝などを記録しており、客観的な資料としての信頼性は極めて高い。
判決が参照したであろうと思われる、もう1つの種類の証拠は、帝国主義勢力が南シナ海へ進出する以前、中国の歴代王朝が作成していた公式の地誌である。あまりに古いものは散逸しているが、明清両朝の『大明一統志』および『大清一統志』は完全に残っている。これらの地誌では、海南島が中国の最南であることが明確に示されている。
海洋については、中国大陸の沿岸より外の大洋は「中国と夷(野蛮国)が共存するところ」、すなわち今日の言葉で言う、「公海」と認識されていた。『皇明実録』という明朝廷の議事日誌などが明記している。
ともかく、これらの文献を含め、非常に興味深い証拠を検討した結果、仲裁裁判所は中国の領有権主張は根拠がないという心証を得たのだと思う。
同じことは東シナ海にも当てはまる
もっとも、判決は中国からけなされ、拒否された。判決を強制的に執行することはできないので、中国パワーに押され気味に見えるが、それは表面的なことで、この判決はフィリピンにとって、百万の援軍にも比肩しうるほど頼りになる。
フィリピンがこれらをいつ、どのような状況で活用するか、それはフィリピンが決めることだ。ドゥテルテ大統領は訪中を成功させるため、今回使わなかった。それは訪中の目的全体に照らして適切な判断だったと思う。しかし、今後、南シナ海に関して再び中国と対立することになれば、フィリピンにとって大きな力となる。同大統領も、いずれ判決を持ち出すことになるかもしれない、という趣旨の発言を行っている。
ドゥテルテ大統領は安倍首相とも南シナ海問題の平和的解決で合意した。発表されてはいないが、その中では仲裁判決について、そうした将来の可能性をより明確に示したのではないか。同大統領による「フィリピンはいつも日本の側に立つ」という発言は、おそらく東シナ海と南シナ海は類似した状況にあり、特に中国との関係で同じ立場にあることを指摘した発言だと思う、実際、今回の南シナ海判決は、東シナ海にも当てはまるところがある。同大統領の発言は非常に興味深い。
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