「契約理論」はわれわれの身近で役立っている 2016年ノーベル経済学賞2人の重要な業績

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ハーバード大学のオリバー・ハート教授(写真:AP/アフロ)

以上、販売員へのインセンティブ設計を例にホルムストロームの主要な貢献を紹介してきた。もっともよく知られている応用分野は、所有と経営の分離の下で株主や他の利害関係者が経営者の経営活動を規律づける企業統治の問題である。しかし、彼の理論の応用可能性は非常に広い。保険会社による保険契約の設計問題はもっとも古い応用例である。最近では、学校教育の分野で教師のインセンティブをどのように設計すればいいか、医療分野でインセンティブの視点から診療報酬制度、すなわち医師への報酬をどのように設計すればいいか、などの問題に応用されている。

また、彼の理論を出発点として、長期的な雇用関係下での従業員の報酬・処遇制度のあり方が人事の経済学と呼ばれる分野で研究されている。イノベーションを引き起こすための報酬制度や研究費配分のあり方も、今後重要な応用分野となっていくだろう。たとえば、本年度のノーベル医学生理学賞を受賞された大隅良典氏の次のような指摘は、マルチタスク問題として理解することが可能ではないだろうか。「研究費助成を受けるにも出口(成果)が求められ、若い研究者はすぐ先に見える成果を追いがちだ」。

 ハートは「契約に書かれていない場合」を分析

2011年6月にベルギーのブリュッセルで、ハートとサンフォード・グロスマン教授との1986年の共著論文『The Costs and Benefits of Ownership: A Theory of Vertical and Lateral Integration
(Sanford J. Grossman and Oliver D. Hart,Journal of Political Economy,Vol. 94, No. 4,August 1986,pp.691-719 )の出版25周年を記念する学術会議が開催され、今年になってその会議録が『不完備契約が経済学にもたらした影響』"The Impact of Incomplete Contracts on Economics”の書名で出版された。

起こりうる事態や当事者の義務を事前にすべて明記することは難しい。そのような事態が実際に発生してから(事後的に)どのように対処するかを決定しなければならない。そのような事態が生じる可能性がある契約を不完備契約と呼ぶ。

契約が不完備なときには、誰が事後的な決定権を持つかが重要になる。たとえば雇用関係では、従業員は許容範囲内で雇用主の指揮命令権を受け入れなければならない。事前にどの仕事を担当するか、社内でどのようなキャリアを歩むか、などを契約に明記することは難しいので、状況に応じて会社側が決定することになる。事後的な対応を当事者間の交渉によって決定する場合もあるだろう。そのような場合でも、最終的な決定権を誰が持つかは交渉結果に重要な影響を与える。決定権を持つことは、実際に行使しない場合でも大きな交渉力となるのだ。

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