あのJヴィレッジは?福島原発20キロ圏内の今 一部立ち入り緩和も,広野・楢葉・富岡町の苦難続く
福島第一原発から20キロメートル圏内の自治体で、立ち入りを厳しく制限する「警戒区域」の指定が相次いで解除され、日中に限られるものの行き来が自由にできる地域が広がっている。
楢葉町もその一つだ。昨年8月10日に町内全域が警戒区域の指定を解かれ、町内全域が新たに「避難指示解除準備区域」(年間積算放射線量20ミリシーベルト以下)に区分された。第一原発が立地する大熊町や双葉町、北西方向で大量の放射性物質が降り注いだ浪江町などと比べて放射線量が低いことや東京電力の福島復興本社が立地することから、「復興の拠点」とみなされることも少なくない。
楢葉町では5月11日に第2次復興計画案がまとまり、24日の臨時議会で正式決定された。復興計画では住民の帰還時期を決定するタイミングを「2014年春」としており、「帰町目標」の時期は早ければ「翌15年春」に設定したいとされている。町は復興のための「中核プロジェクト」として、「放射線医療研究・予防医療福祉総合センター」(仮称)の誘致を掲げた。
しかし、住民の間では、「2~3年先に自宅に戻って生活できるとは思えない」と疑問視する見方が少なくない。いわき市内の借り上げアパートで避難生活を送る金井直子さん(47)もその一人だ。東洋経済記者は原発被害訴訟の原告でもある金井さんおよび元福島県議会議員でいわき在住の伊東達也さん(71)とともに広野町や楢葉町、そして3月25日に警戒区域が解除された富岡町を訪問。原発被害や復興の見通しについて検証した。
いわき市中心部を抜けて、伊東さんの運転で国道6号線を北上していくと、あちこちに原発の収束作業や除染にたずさわる作業員の宿舎が建っている光景が目に入ってきた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら