日本時間の9月23日未明、米国での国連総会演説を終えた安倍晋三首相がキューバの地を踏んだ。日本の現職首相としては、初めてのキューバへの公式訪問である。米国とキューバが歴史的な国交回復を果たしたのは昨年の7月。その前段階から含めると、早くも2年近くが経とうとしている。
今回はもちろん安倍首相とラウル・カストロ国家評議会議長との会談に大いに注目だ。筆者は20年ほどキューバとのレアメタル貿易を続けてきた(キューバは隠れたレアメタル大国である)こともあり、キューバと言われるだけで血が騒ぐ。せっかくなので最新の情報を交え、「二つの視点」から、同国の「大いなる可能性」に迫ってみたい。
日本の文化人は「キューバ好き」が少なくない
まずは文化から入りたい。そもそも、日本とキューバとはすでに約400年前、交流があったことをご存じだろうか。支倉常長(はせくらつねなが)である。大河ドラマの「真田丸」でも描かれている安土桃山時代から江戸時代を生きた武将で、仙台藩の藩主・伊達政宗から欧州に派遣された家臣である。その彼がなんと約400年前に現在の首都、ハバナを訪れていたのである。同地には銅像もあるのだ。
主なミッション(使命)は、「慶長遣欧使節団」の団長(30名、商人らを入れると約180名)として、当時世界最強国であったスペインと仙台藩の貿易を認めさせることだった。
1615年、彼らは国王フェリペ3世に謁見、藩主の政宗の手紙を渡しメキシコとの貿易許可を求めた。同年にはローマ教皇パウロ5世にも謁見。ここらへんまでは歴史通なら知っている方も少なくないが、彼らはメキシコ経由でスペインに向かう途中、実は途中で嵐に遭って、キューバに辿りついていたのだ。1614年7月23日から8月初旬までハバナに滞在したとの記録が残っている。
結果的に徳川幕府の鎖国政策のために、支倉常長の数々の業績は評価されず、彼は失意のうちに1622年に52歳で亡くなるのだが、ハバナで支倉常長像を見学した時には、400年前の「日本人開拓者」のロマンが蘇るような気になったものだ。
話が横道にそれてしまったが、文化の話である。かの有名なA・ヘミングウェイの「老人と海」(1952年出版)の舞台でもあるが、キューバは日本も含め、世界中の文化人をひきつけてやまないのだ。いったい、どんな魅力があるのか。
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