「仙石東北ライン」が牽引する震災復興の威力 街の再生へ期待を乗せ走るハイブリッド列車

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震災前から存在した温泉温浴施設「ゆぽっぽ」を併設した女川駅舎は、紙管を用いた仮設住宅や避難所間仕切りなど、災害支援建築で国際的な評価を受けている建築家、坂茂氏が設計した。

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女川駅から続くプロムナード(筆者撮影)

しかし列車を降りた筆者は、ウミネコが羽ばたく様子をイメージした駅舎を確認する前に、眼前の景色に目を奪われた。緩く下るプロムナードがまっすぐ伸び、両脇には商業施設が並ぶ。遠くには海が望める。

多くの被災地が、海から離れた高台に街並みを移設する中、女川は甚大な被害を出した海と向き合い、歩んでいく道を選んだ。しかもスロープしたプロムナードの中程にある「まちなか交流館」には、復興の状況をパネルで紹介しており、勉強にもなる。

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復興の状況をパネルで紹介している「まちなか交流館」(筆者撮影)

女川町には原子力発電所があり、国や県から交付金が支給されている。しかしそれだけが、美しい中心市街地構築の原動力であるとは思えなかった。商店や施設で働く人々から、町の力を実感したからだ。

駅に戻ると、今年8月から仙石東北ラインが女川まで延長運転されたという案内があった。従来から仙石線を走っていた電車では、非電化の石巻線は乗り入れできなかった。電化方式の違いを理由に導入されたディーゼル・ハイブリッド車が、副産物を生んだのだ。現在は1往復だが、需要があれば増便も期待できるだろう。

復興の中核を担う鉄道駅

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現在の野蒜駅から見た旧野蒜駅周辺。震災遺構として旧駅のホーム(写真左側中央)が残っている。駅を含め、この付近は津波によって大きな被害を受けた(筆者撮影)

帰路は高台移転が進められる東松島市の野蒜駅で途中下車した。駅前広場は整備されてはいたが、家は一軒もない。脇には地域交流センターと観光物産センターが建設中だった。バス停はなく、タクシーは利用者が電話で呼び出す形態になっていた。

駅の跨線橋からは旧野蒜駅周辺が望める。震災遺構として保存が決まったホームは残っているが、周囲の家はほとんど津波で流されたうえに、多くの地域が津波防災区域に指定されていることもあり、更地が目立っていた。

東松島市では2011年12月に高台移転計画を策定。翌年1月に仙石線の高台移設が決まり、3月にUR都市機構と協力協定を締結し、復興工事が始まった。このあたりのスケジュールは女川町と大差ない。しかし取材時は宅地の引き渡しが始まったばかりであり、復興はまだ道半ばという印象だった。

他の多くの被災地域と同じように、東松島市も人口減に悩んでいる。2011年1月の4.3万人から、昨年は約4万人に減った。駅前が住宅で埋まる日は来るのか、仙台駅まで約30分で行ける仙石東北ラインは重要な役目を担っている。

石巻市や女川町にも同じことが言える。復興の手法は異なれど、鉄道駅を中心としたまちづくりを進めている点は共通していた。仙石東北ラインは間違いなく、そのけん引役になりつつある。

森口 将之 モビリティジャーナリスト

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もりぐち まさゆき / Masayuki Moriguchi

1962年生まれ。モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。著書に『富山から拡がる交通革命』(交通新聞社新書)。

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