科学の世界では、「原因」と「結果」がひっくり返ることは絶対にありえません。経済学の世界で「インフレになれば、経済がよくなる」と主張する学者たちは、私から見れば、物理学の世界で「力が作用したから、モノが動く」という状況を「モノが動くから、力が作用する」といっているのと同じようなものなのです。ですから、科学の世界の学者たちからは、経済学は学問の体をなしていないという意見がよく聞かれるというわけです。
キリスト教の権威が支配していた中世時代の欧州では、神の権威によって科学の発展が著しく妨げられていましたが、クルーグマンの学説である「インフレになると人々が信じれば、実際にインフレになる」というインフレ期待などは、まさしく宗教そのものといってもいいでしょう。このようなクルーグマンの主張を根拠にして、わが国の金融政策が間違った現状を突き進んでいるのは、非常に憂慮すべきことだと思われます。
日本で「浅はかな経済実験」が行われてしまったのは、クルーグマンの「インフレ期待」なる理論が「原因」と「結果」を完全に取り違えているにもかかわらず、リフレ派と呼ばれる学者たちが権威の名のもとに、「愚かな為政者」にその理論を信じ込ませてしまったからです。
普通に暮らす国民の立場からすると、金融緩和に依存する経済政策はあまりにも筋が悪かったといえるでしょう。経済の本質や歴史について先入観を持たずにしっかりと検証していれば、このような愚かな経済政策を行うはずがなかったのではないでしょうか。
物価が上がれば景気が良くなるわけではない
経済の本質からすれば、「物価が上がることによって、景気がよくなったり、生活が豊かになったりする」のではありません。「経済が成長する結果として、物価が上がる」というものでなければならないのです(もちろん、「経済が成長する結果として、物価が下がる」というケースもありえます)。
経済学の世界では、「鶏が先か、卵が先か」の議論が成り立ってしまうことがありますが、実際の経済は決してそのようには動いていかないものです。経済にとって本当に重要なのは、「どちらが先になるのか」ということなのです。
さらに、経済学の不可思議なところは、それぞれの国々における人口の構成、人々の価値観や生活スタイルなどが考慮されていないということです。
特に高齢化社会を真っ先に経験している日本にとって、本当にインフレが望ましいのかどうかは、社会保障制度の改革とセットで議論されるべきものです。そもそも人口減少社会に突入した日本の経済と、人口増加社会であり続ける米国の経済を、同じ土俵で比較すること自体、学問的にもセンスがなさすぎるといわざるをえません。
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