政治家にとって、健康状態は死活的に重要だ。1992年の大統領選挙では、ブッシュお父さんが訪日中に、宮中晩さん会でぶっ倒れたことがあった。ときの宮沢喜一首相は、咄嗟にバーバラ夫人に「なにか一言」と水を向け、そこでバーバラ夫人が「きっと今日、ジョージがテニスの試合に負けたからですわ。ブッシュ家の人間は負けることに慣れてないんですの」と当意即妙に答え、凍りついたその場の空気が和んだ。もっともこの時の映像は、アメリカ国内では何度も何度も流れて、「ブッシュは弱い」との印象を植え付けてしまった。そしてその後、ビル・クリントンの奇跡的勝利へのプロローグとなっていくのである。
それでは2016年選挙はどうだろうか。ヒラリーの体調不良が今回だけで打ち止めになるのなら、影響は比較的軽微であろう。なにしろ今やアメリカの有権者はくっきりと色分けされている。「トランプ嫌い」の人は何があってもヒラリーに入れるだろうし、「ヒラリー嫌い」の人はトランプに入れる。「態度未定」の有権者はそれほど多くはない。
ビルがヒラリーに語った言葉
ひとつ考えられる懸念は、健康情報の取り扱いを間違える怖れである。もともとヒラリー選対は「秘密主義」で、外部に対する警戒心が強い。記者会見だって過去8カ月間も行っていない。この問題への対処を間違えると、「彼女は本当のことを言っているのか?」という疑念を増幅しかねない。
同じことはトランプ陣営にも当てはまる。劣勢を自覚しているトランプ氏は、「健康問題は大統領選挙の争点だ」と気勢を上げている。が、情報開示に後ろ向きなのはトランプ陣営も同様だ。「お宅はどうなの?」と逆に突っ込まれるかもしれない。さしあたっての注目点は、9月26日に行われる第1回目のテレビ討論会における直接対決だ。
ところで春原剛氏の近著『ヒラリー・クリントン』(新潮新書)は、彼女のこれまでの人生をコンパクトにまとめている。今回の事件を経た後では、そのエピローグが妙に心に沁みる。実はビル・クリントンは心臓病を抱えていて、近く本格的な外科手術を受けるらしい。ビルはヒラリーにこう語ったという。
「自分が死ねば、人々は良いことだけを覚えていてくれるだろう。悪いことを忘れはしないだろうが、許してくれるだろう。だから自分の死を最大限に利用してほしい。そうすれば、何百万もの票に結びつくはずだ…」
政治家とは何と因果な商売であることか。そしてまた、稀代の政治アニマル、クリントン夫妻の業は何と深いのであろうか。
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