電車内の「ベビーカー問題」は解決できるのか 迷惑な子連れと不寛容な乗客の無益な争い
子連れの数々の迷惑行為に対して目をつぶって無言で耐えてくれる人のほうがまだまだずっと多いのだ。つねに頭を下げて気を使えば使うほど、まれにそのような人々が与えてくれる笑顔や親切のありがたさが身にしみる。そして、それに対し感謝の意をきちんと伝えることも重要だ。そういう子連れ側の謙虚の積み重ねが、また別の空間で新しい寛容を生む希望につながる。
家の中で迷惑行為ばかりしている(これが成長の過程であるとはいえ)人間が、一歩外に出たからといって品行方正に振る舞うはずもなく、どこにいて何をしていようが子どもというのは基本的にうるさく迷惑な存在である。
ベビーカーの有無を問わず、子連れで電車やバスに乗ること自体、すでに十分迷惑であると自覚することだ。迷惑だからやめろと言っているのではもちろんない。もし泣いたり騒いだりするなら、親は下車するか、やめるよう努めなければならない。実際に泣きやむか否か、騒ぎが収まるかの成果より、親の努力の有無を人は見ている。
自治体が子どもの無料健康診断、医療費補助、育児手当など支援事業を積極的に推進し、交通機関やレジャー施設が子連れに優しくしようと躍起になっている今のような時代だからこそ、世の中のたくさんの人の世話になり、迷惑をかけることで子どもは育っていくということを親は忘れてはならない。
同じように税金や代金を支払って、それに見合う対価やサービスを得たいと考えているが何の手当てもサービスも受けていない子連れではない人たちがたくさんいるのである。そこには、出産や育児で勤め先や他人に迷惑をかけることを恐れた結果子どもを持つことをあきらめた人、事情があって子どもを持てなかった人もまた含まれている。
「あのおじさんに怒られる」の意味
子連れのくせに子連れに厳しいことばかり書いたので、最後に、列車内やレストランで、しょっちゅう耳にする、「あのおじさん(おばさん)に怒られるからやめなさい!」の真意について弁解させてもらいたい。
「悪いことを悪いと教えず他人を悪者にしてけしからん!」フレーズであるが、これには事情があった。
善悪を説いても通じず親が鬼のように怒っても恐れず、「見ず知らずの何者かが怒る」という未知なる恐怖で脅迫でもしないかぎり涙も欲求もおさまらない悪魔の時代が、子どもの成長過程、必ず訪れる。だからそれを言っている親は、あなたや店の人を悪人にしたいのではなく、一秒でも早く事態を鎮静化するために、そのお力を借りているのだと理解していただきたい。
だったらそもそも連れてくるなと言いたいところだが、子どもが泣いても騒いでも完全放置でスマホに夢中な親より、まだましかもしれない。
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