筆者は投票の5日ほど前までの10日間、仕事でロンドンに滞在した。多くの地元の人と話をしたが、その中で最も強烈に印象に残ったのが、このタクシー運転手のむき出しの訴えだった。
自らの「住まい」や「教育」や「職」が脅かさている現状を生々しい描写で切々と訴える「ストーリー」。この説得力はメガトン級だ。「理」で考えた場合の「正解」は「残留」であるのはわかっている。しかし、「情」の部分で、タクシー運転手の言うことに共感を覚えないではいられない自分がいた。「もしかして、離脱派が勝利するかも」。彼の話を聞いた瞬間からそう思い始めた。
イギリス人はEUが大っ嫌いだった
私事で恐縮だが、筆者とイギリス、EUとの縁はかなり深い。「国は国を超えることができるのか」というEUの壮大な実験に魅かれ、大学、大学院とイギリスに留学。「なぜ、イギリスはEUが嫌いか」を歴史的・政治的・経済的理由からかなり、マニアックに研究していた。だから、多くのイギリス人が実はEUを好きになれない、いや実は嫌いであることもよく分かっていた。とはいえ、実利を考えれば、そこまでの決断はしないはず、いや、できないはず、大半の人がそう踏んでいた。
デイヴィッド・キャメロン首相もそう読んだから、国民投票というカードを切ったのであろう。イギリス人の根深い嫌EU感情を見くびっていたともいえるが、それ以上に、人々の心の奥底の感情に火をつけた「離脱派」の攻めのコミュニケーション戦略が実に狡猾だった、という側面も大いにある。
この残留派VS離脱派の選挙キャンペーンはそもそも、「恐怖訴求」合戦であった。残留派は「もしEUを離脱すれば、これだけの職が失われる。これだけ税金が上がる」といった恐怖シナリオのアピールを繰り返していた。
一方、離脱派が見せた恐怖シナリオは、「EUにとどまり続ければ、移民が殺到する」というもの。どっちのシナリオがより怖いか?それは火を見るより明らかかもしれない。残留派のシナリオは「起こるかもしれない仮定の話」、離脱派のシナリオは「もう今現在身近で起こっている話」なのだ。ひたひたと迫ってくる恐怖の方がはるかに強烈だ。
この移民問題という「シングルイシュー」で攻めた離脱派のさらに巧妙なところは、ひっきりなしに恐怖をあおり続けたことだ。「トルコがEUに加盟してくる。そうなったら、さらに難民が殺到してくるぞ」と畳みかけた。実際、その可能性は低いのだが、いかにもそれが現実のもののように主張し続けた。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら