「王様は裸だ!」と言える人、周りにいますか 追認バイアスから自由なチームが腐敗を防ぐ
その起源は、かつてローマカトリック教会内に設けられていた「悪魔の代弁者」にまでさかのぼる。カトリック教会による聖人認定(列聖)は、最初の1000年の間、かなり場当たり的に行われていたため、「聖人の大安売り」とも言うべき状態に陥っていた。この状況を改善し、聖人の神聖さと正統性を守るために設けられたのが、「悪魔の代弁者」である。
「悪魔の代弁者」の仕事は、列聖の候補として挙げられたあらゆる証拠や、履歴書に対して徹底的な反対意見を述べることで、各候補者が聖人となることを防ぐことにあった。
このように、「執行役の判断が間違っている」という前提から物事を考える役職を常設することで、ローマカトリック教会はその後の聖人認定を極めて厳格・適切に進めることができた。この「悪魔の代弁者」を、今日の組織運営に組み入れようというのがレッドチームだ。
「宿題は自分で採点できない」
なぜ、現代の組織にはレッドチームが必要なのか? それは、本書でも何度も繰り返されるように、「宿題は自分で採点できない」からだ。本書の冒頭では、その一例として、製品の欠陥を放置したために、破綻寸前にまで追い込まれたゼネラルモーターズの話が出てくるが、日本企業も他人事ではない。外向きには革新を唱えながらも、実際は内向きな先例と慣習を踏襲しつづけ、取返しのつかないところまできて問題が明るみに出てしまう事例は、この数年だけを振り返っても数多くある。
利益の水増しを長年続けてきた東芝。巨額の簿外損失を架空の利益で穴埋めしてきたオリンパス。二度のリコール隠しで経営危機に陥った三菱自動車。こういうことがあるたびに「なぜここまで放っておいたのか? どうして誰かが声をあげなかったのか?」という批判が起きる。だが、中の人は意識せず組織の慣習に従っているだけなのだ。まさに、「宿題は自分で採点できない」のである。だからこそ、「そのやり方は間違っている」と鋭く主張できるレッドチームを組織に置くことが重要なのだ。
レッドチームは、そもそもの前提条件から疑っていく。CIAの中のレッドチームが、「もし外国人がアメリカを『テロリズムの輸出元』と見ていたら?」と、それまでの認識をまったく逆転させ、その際にどのような問題が生じるかを分析していた事例が紹介される。繰り返される日本企業のさまざまな大破局も、確かにこうした、前提条件を疑いトップに提言する役割のチームがあれば防げたかもしれない。
また、この本を自身の組織におけるジレンマと置き換えて読む人も多いだろう。例えば著者は、トップが下からの率直な意見を求めて、ホットラインやご意見箱を設けてもほとんど役に立たないと指摘する。社員は上司との衝突を回避しようとするため、やがて沈黙が一番安全で理にかなった行動だと考えるようになってしまうからだ。ご意見箱があること自体、組織の中で反対意見を自由に口にできない証拠でもある。
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