さて選挙をはじめとした多数決の原理では、国民の多くがどう考えるかが重要になる。多数の人達の暮らし向きはどうなっているのかを見ようとしたときに、日本で日常目にする毎月の消費支出額や所得などの統計数値は、「一世帯当たりの平均」がほとんどだ。はたして、これが多くの人達の暮らし向きを適切に示す数字と言えるだろうか。
手元にあるアメリカの統計の入門書(Charles Wheelan "Naked Statistics; Stripping the Dread from the Data" W. W. Norton & Company (2014))には、こんなたとえ話が出ている。
レストランで食事をしていた客9人の資産額は全員10万ドルだった。ところが、そこにたまたま、マイクロ・ソフト社の共同創始者であるビル・ゲイツ氏が入ってきた。ビル・ゲイツの資産額はフォーブス誌によれば750億ドルだ。レストランの客の平均資産額は約7.5億ドルになったが、これがこのレストランの「平均的な」お客の資産額と言えるだろうか?
こういう場合には平均値は適切ではなく、中央値(median)を使うべきだ。それならば、ビル・ゲイツがレストランに入ってきたことによって、「平均的な」お客の貯蓄額が突然大きく変わるということはないからだ。
統計によって大きく違う「平均的」な日本人
「平均的日本人」とか、「平均的なサラリーマン」などという言い方をするように、「平均」という言葉は、「普通の」とか「よく見かける」という意味で使われることが多い。日本の統計ではほとんどの場合「平均値」を使って、「普通の」世帯の所得や支出、貯蓄がどうなっているのかという議論が行われる。しかし、「平均値」は必ずしも「平均的な世帯」の状況を示すものではないことに注意が必要だ。
2015年の日本の家計の平均貯蓄金額は1805万円で、前年に比べて7万円増加した(総務省統計局「家計調査(貯蓄・負債編)」。初めてこういう数字を見た時に、自分の貯蓄額に比べてかなり大きいことに驚く人は多いだろう。人並みに貯蓄しているつもりなのに、自分は「平均的」な世帯よりはるかに貯蓄が少ないのかと不思議に思った人も少なくないだろう。
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