私は弱肉強食とか、貧富の格差拡大をサポートしているわけではない。零細農家の方々の苦悩、また美しい田園や果樹園が美しい日本の自然・文化環境に必要であることも重々理解している。また日々子供を学校にやり、食べさせ、家賃を払うために仕事を何個も掛けもちして人生を子供にささげている父母の皆さんの気持ちも想像して余りある。
ただし、日本の美しい田園や農業の文化も、高価格と補助金に流れる税金を負担するという国民の負担で守るのではなく、主体的に生産性と国際競争力を高める事で守らなければ、結果的に多くの負担が農家にも国民にも降りかかるだろう。
いちばん大きな差がもうひとつ
繰り返して言うが、今の日本は国際的にみてまだまだ豊かな、素晴らしい社会である。しかし問題は、多少下がってきたとはいえ、国際的にみれば極めて高い今の生活水準と、緩やかな所得格差が、財政の限界と激化する国際競争の中で、到底維持可能ではないということだ(実際、過去10年で日本人の所得は10%以上減り、韓国と台湾の所得は70%増えた)。
また複数の産業を規制で守ってきたため、農業やサービス産業がその潜在力をグローバル市場で発揮する準備が進んでいない。
私は前回のコラムで香港やシンガポールと比べて、税制や貿易政策、貧富の格差などの点で東京がどのようなポジションにあるかを論じてきた。しかしこれらの国際金融都市と比較した際の、いちばん大きな差はやはり政治力である。政策の意思決定機関の質の低さと脆弱さ、リーダーシップの欠如が、経済・農業・外交・教育・年金・福祉政策などなどをつっこみどころ満載のものにしてしまっている。
その詳細に関しては今後本コラムでグローバルな視点から、読者の皆様と一緒に考察していくことができれば幸いである。
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