熊本地震で寸断した「九州新幹線」復旧の行方 全線開業5周年の祝賀ムードが一転したが…

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全線開通5周年を祝ってライトアップされた博多駅前(2016年3月)

熊本地域には気になる地震の前歴がある。1889(明治22)年の「熊本地震」だ。阪神・淡路大震災の発生を受けて、秋吉卓氏らが1998年、「土木史研究」誌に投稿した論文によると、熊本市中心部を北東から南西へ横切る「立田川断層」の一部が活動し、同市西方の金峰山から市中心部にかけての地域が震源となったとみられる。直前の時期に大分県や宮崎県、鹿児島県に地震計が設置されており、近代的な地震観測が始まってから初の大規模な地震となった。発生後、熊本にも地震計が持ち込まれ、詳細な余震の観測が行われた。

今回の熊本地震と同様の群発地震で、1889年7月28日に本震が発生して以来、12月31日までの半年弱で、有感地震は300回を超えた。都市型の直下地震という点でも共通しており、地震規模の割に被害程度が非常に大きかった。死者は21人を数えている。

しかし、2年後の1891年10月、M8.4という国内の内陸性地震としては最大級の「濃尾地震」が発生し、中京圏一帯に巨大な被害をもたらした。このため、1889年の熊本地震の記憶は早々に薄れた。結果的に、熊本地域の地震への備えが手薄になった可能性がある。

全線復旧がもたらす意味

今回の地震は、都市や交通網と新幹線の脆さをあらためて浮き彫りにした。また、現在の地球科学的な知見がまだ限定的なものであり、時には歴史的な記憶や記録が忘れ去られている事実を突きつけた。一方で、九州地方における熊本地域の重要性も再確認させた。熊本は、地理的に九州の「中央」に位置する。この地域の不安定さは、九州全体の産業や経済、暮らしの不安定さに直結しかねない。

九州新幹線は2011年3月12日の全線開業時、前日に発生した東日本大震災の余波を受けている。開業そのものがニュースとしての価値を半ば失い、沿線の歓喜は封印された。沿線住民1万人が協力して作成された祝賀CMは、3月9日の放映開始から3日目で中止に至った。その後、この「幻のCM」はネットで人気を呼び、開業5周年に際しても話題に上っていた。

今回の熊本地震発生後、九州新幹線の「復活」を願って、多くの人が、あらためてこのCM動画を思い起こしている。その模様は各種メディアでも取り上げられた。

上記のように、地震の行方はまだ見定めがたく、無闇な楽観や拙速な対応は禁物だろう。ただ、熊本地域のみならず、阿蘇地域や大分県、ひいては九州全体が地震前の姿を取り戻すには、九州新幹線の全線復旧は欠かせない。今後、安全・安心と利便性のバランスをどう考えていくかは、大きな課題だ。

櫛引 素夫 青森大学教授、地域ジャーナリスト、専門地域調査士

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くしびき もとお / Motoo Kushibiki

1962年青森市生まれ。東奥日報記者を経て2013年より現職。東北大学大学院理学研究科、弘前大学大学院地域社会研究科修了。整備新幹線をテーマに研究活動を行う。

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