①部下にものを尋ねる
②方針を明確に示す
③権限を委譲する
④感動させる
この4つを順番に説明していこう。ひとつ目は、部下にものを尋ねること。部下にものを尋ねると、部下がやる気をだす、情報が集まる、そして結局尊敬される。
学校へ行っていない松下は、自然に部下の話に耳を傾け、また進んで尋ねて聞くようになったという。部下にものを尋ねると得をするということを、体験的に会得していった。一方、私たちはつまらぬプライドが邪魔をしてなかなか人にものを尋ねられない。
だから得をするという体験もなかなか持てない。持てないから、いっそう聞き尋ねることをしようとしない。それゆえ、相当心がけて部下にものを尋ねるということを実行しなければいけないのである。
誤りのない方針を示していくこと
2つ目は、方針を明確に示すということだ。
中国の毛利を攻めよと信長の命を受けた明智光秀の軍勢1万3000人は、亀山城を出て丹波路を進んだ。そして桂川にいたったときに、「敵は本能寺にあり」ということを全軍に告げた。それまでは、信長を討つということはごくわずかの重臣しか知らず、他の者は中国に出陣するものだとばかり思っていた。
それが、ひとたび命が下るや、1万3000人の兵が雪崩をうって京都に押し寄せ、つい先刻まで夢にも考えなかった、謀反の挙に成功するわけである。謀反というような当時の道徳に反することでも、ひとたび指導者が方針を示せば、それが行われるのである。
このように、指導者が1つの決断を下し、方針を示せば、心からそれに従うかどうかはともかく、部下はみなそのとおりに動くものである。自分はそれに反対だ、別の道を行くという人は、ほとんどいないと言っていい。それゆえ指導者は、つねに何が正しいかを考えつつ、誤りのない方針を示していくことを心がけなくてはならない。
3番目は、権限を委譲するということだ。
孔子が、子賤という若い弟子のことを、「あれは立派な男だ」とさかんに褒めている。というのは、子賤はある地方の代官になって赴任したが、自分はいつも琴を弾いていて、それほど仕事をしていない。それでいて、その地方はピシッと治まっている。彼の前任者は、それこそ朝から晩まで一生懸命やったけれども、なかなかうまく治めることはできなかった。
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