瀕死の福田政権。だが新体制の姿は見えない
福田康夫首相の命運は尽きたようだ。自民党内では総選挙になる前に福田首相を見限るべきだと主張する勢力が日を追うごとに増えている。
ただ問われるべき問題は、首相が辞任するのかどうかではない。“福田後”がどんな時代になるかである。またもや典型的な自民党の首相が誕生し、自民党と民主党の政争が続くのであろうか。あるいは政権が交代し、国会の役割が強くなるのだろうか。もし福田政権の崩壊が政界再編成の触媒にならなかったら、日本は小泉政権以前のポストバブルの時代に逆戻りするかもしれない。脆弱で短命の首相が続き、そこに国会の“ねじれ”という新たな要素も加わり、事態はさらに混迷を深めるに違いない。
総選挙をにらんで不人気の福田首相を引きずり下ろすという議論が自民党内で行われている。2月29日までは、それも議論の域を出なかった。だが首相は重大なミスを犯した。首相は民主党が強く反対する中予算案を強引に衆議院で可決したのだ。首相は、民主党の反発はそれほど大きなものではないと信じていたようだ。
もう一つのミスは、武藤敏郎日銀副総裁を次期日銀総裁とする人事で、民主党の小沢一郎代表と妥協できると思い込んでいたことだ。今年の1月に野党の反対を押し切って「補給支援法案」を成立させたことで福田首相と自民党幹部は自民党の力を過大評価し、民主党を押し切ることができると踏んでいた。
福田首相は、小沢代表が民主党を実際にコントロールしていないことを理解していなかったようだ。民主党議員は日銀総裁人事を阻止することに固執し、結局、小沢代表も従わざるをえなかった。首相はなぜ民主党が武藤氏に反対したのか、なぜガソリン税で妥協を拒んでいるのか理解できないと語っている。この発言は、首相の本音と見て間違いない。要するに首相はパワーポリティクスを理解できていないのである。
今こそ現代的な発想を持った政治家が必要とされているにもかかわらず、福田首相のメンタリティは旧態依然とした官僚的なものであった。首相は穏やかな海を進む船の船長としては有能であるが、荒波で舵取りをする人物ではない。首相の支持率は20%台に落ち込んでいるが、最も厳しい批判は政策ではなく、首相の指導者としての能力の欠如である。
福田首相の問題は、個人の問題にとどまるものではない。それは自民党の基本的なジレンマを映し出している。自民党の支持層の一部は改革で恩恵を受けるが、多くの支持者は傷つくことになる。したがって支持を維持しようとすれば、自民党は日和見的な立場をとらざるをえず、新しい大胆な政策に取り組むことができないのである。