原発汚染水問題で販路失った水産業者の苦境 生業の再建を阻まれ、被害の立証も難しい
それでも佐藤さんはあきらめなかった。ホヤは売り物になるまでに3年かかる。佐藤さんは友人知人や同業者からも資金をかき集め、復旧へと立ち上がり、震災前に匹敵する養殖の規模に回復させた。
「宮城産のホヤが待ち望まれている。廃業する養殖業者が続出する中で、自分が頑張るしかない」。佐藤さんはこう確信していたという。
ところが、収穫を翌年に控えた2013年9月に、思いもよらぬ輸入禁止措置に直面する。当時、ホヤから放射性物質は検出されていなかったが、韓国は宮城県など8県の水産物輸入を一律に禁止したのだ。
その結果、2014~2015年の2年にわたり、韓国への輸出はすべてストップ。佐藤さんは出荷先のほとんどを失った。
汚染水によるイメージダウンでやむなく廃業も
石巻市渡波地区で水産加工業を営んでいた阿部晃治さん(61)は、原発事故に起因する売れ行き不振が主因で事実上の廃業に追い込まれた。震災直後から、浸水被害を受けた工場の復旧に力を注いできたが、2年後の2013年3月に力尽きた。現在は工場跡地の売り先を探している。
「原発事故がなければ事業を継続できていたと思う」
阿部さんはつぶやく。
クジラの皮やワカメの加工販売などで10人の社員を雇っていた阿部さんが風評被害の存在をはっきりと感じるようになったのは震災の翌年あたりからだったという。
震災の年こそ、復興支援の需要があったものの、翌2012年になると売り上げがガタッと落ちた。最初は関西方面から、次いで関東でも売れ行きが悪くなった。仲買人や取引先に聞くと、原発事故による風評で、消費者が石巻の水産物を受け付けないという。
「汚染水の報道があるたびに状況は悪くなっていった。値段も下がる一方で、このまま事業を続けていてもどうにもならない、と思うようになった」(阿部さん)
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