たとえば、「自信がある」というニュアンスを伝えるにはいくつもの手法・ツールがあります。
ばっちりです!(Vサイン)
自信ですか? そりゃ、ありますよー。
絶対だいじょうぶです。
いや、どう考えたって、私でしょ。
その言葉の選び方にこそ人の個性が出るわけです。そうしたコミュニケーションの試行錯誤をすっ飛ばして、「自信しかない」と過剰に断言してしまう、その「手間を省いた印象」が、あくまで個人的に悲しく感じたのです。
言葉を「サボる」傾向に感じる、悲しさ
もちろん、発言した彼女が雑な性格なわけではないし、例の大学院生も悪くありません。ましてやこの傾向は若者に限ったことでもないはずで、強い気持ちを最小限度の言葉数で伝えられる、とても便利な言い回しです。そもそも、文字数が限られたツイッターや秒数が限られたテレビ番組では、むしろこうした「短い言葉で言い切る」ことが必要とされます。
私自身、テレビ出演時には「端的に言い切れ」「結論だけ言え」「短く、短く」と自分に言い聞かせたりもします(そのせいで出番が一瞬で終わってしまい、映っている時間が極端に少なくなり、「もう少し論を展開してください」と現場のディレクターから指示されることも…)。
ちなみに問題の告白は、なんと、名乗り出た3人はすべてハズレで、他のメンバーが告白されたというオチもつき、そうした盛り上がりも含めて、彼女の受け答えは大正解だったと言えます。それでもやはり、言葉を重ねるという行為を信じている私としては、昨今の「言葉をサボる」傾向が純粋に悲しいし、物足りない。
きっとあなたも、無口で説明の足りない部下、ようやく口を開いたかと思えばぶっきらぼうに「できません」「無理です」しか言わない部下、「理由を言え」「責めてるわけじゃない」とせっつけば「そんなに言うなら自分でやってくださいよ」とキレ気味になる部下に、イライラしたことがあるはず。
人と人はきちんと話し合うべきで、そのためには、豊富な語彙が欠かせません。もちろんこれは、人のふり見てわがふり直せ、で、自分自身もついつい安易な言い回しに逃げていないかと常に自省すべきです。
衝突をおそれて言い切らないのでもなく、インパクトを狙って過剰に言い切るのでもない、ちょうどいいニュアンスを求めて常に言葉を探す努力を怠らないでほしい、と、切に願う次第です。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら