「黒い顔」が電車の定番デザインになったワケ 30年以上続く「ブラックマスク」の歴史

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「ブラックマスク」の元祖である201系電車。大阪環状線用の車両はオレンジ色で、中央線に登場した当時を思わせる

JR九州などにおける水戸岡鋭治氏や、JR東日本の車両などを手掛けるGKインダストリアルデザイン研究所の活躍などもあって、鉄道のデザインにも注目が集まるようになっている。その一方で鉄道車両の世界に限って言えば、デザイナーが誰かという以前に、もっと普遍的に、長年変わらず採り入れられている飽きの来ないデザインもある。

運転台窓の周囲を黒くする、通称「ブラックマスク」は、1979年に完成した国鉄の201系電車を草分けとし、現在に至るまで、通勤型電車を中心に採用され続けている。大都市圏であろうと地方路線であろうと、今や全国津々浦々で見かけると言ってもよい。

そこまで普及し、おなじみとなったのはなぜであろうか。JR西日本に残る201系の引退が間近に迫ってきているのを機に、考えてみたい。

「上半分が黒」のインパクト

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えちごトキめき鉄道のET122形ディーゼルカー。ローカル鉄道用の新型車両であっても、もはやブラックマスクはスタンダード

回生ブレーキを採用し、減速時に発生させた電力を架線へ戻すことができる「省エネ電車」として喧伝された201系の試作車は、中央線快速向けとして1979年1月に三鷹電車区(当時)に配置。一般利用者の前に姿を現した。

その頃の日本は、第一次オイルショックを経験して大量消費時代が終わっており、節約こそが美徳という世相。同じ1979年には原油価格の高騰(第二次オイルショック)も起こったが、第一次の時ほどには経済の混乱がなかったのも、そのためだった。

201系の登場時も、国鉄は電力消費量の相対的な少なさをアピールした。だが、世の注目を集めたのは、目に見えない省エネシステムよりも、上半分を大胆に黒くした前面の方だったかもしれない。中央線快速のラインカラーであるオレンジ色(101系、103系)は踏襲したためそちらは見慣れているとしても、「顔が黒い電車」を見たのは初めてだったであろうからだ。

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