TICADはアフリカ開発を主なテーマとする国際会議で、日本政府が国連などと共催している。欧米諸国によるアフリカ経済支援が難しくなったことも背景にあり、1993年に第1回会議が開かれた(5年に1回)。当時の日本は経済的にもまだ余裕があったし、資源を確保する必要性もあった。なにより、国連安全保障理事会の常任理事国になるための布石として、重要な政治的意味合いもあった。
日本がODA実績で世界一となったのは1989年のこと。以後1990年を除き2000年までそうだったが、緒方貞子氏が国連の難民高等弁務官だったころとほぼ同時期だ。ところが、皮肉なことに日本のバブル景気は1991年から後退し始め「失われた10年」が訪れる。その後緩やかな景気回復があったものの、リーマンショックもあり、結局「失われた20年」を経験することに。中国やシンガポールなどの新興国の追随を許してしまった。
一方、中国は2012年7月に北京で開催された第5回中国・アフリカフォーラム(FOCAC、Forum of China-Africa Cooperation)で、3年間で200億ドルの低利融資の供与を表明した。さらに2015年12月、「3年で600億ドル(7.3兆円)の投資」を支援すると公表した。
1999年の日本とアフリカの貿易額は94億ドルで中国の65億ドルよりも多かったが、2011年には日本の約250億ドルに対して、中国は1500億ドル。現在も、日本とアフリカの貿易総額は中国の6分の1だ。投資残高では2011年末時点で中国の半分。日本のアフリカ進出企業は500社に対して中国は2000社だ。
中国は長期的、日本は短期的
中国は、全地球規模でのエネルギー・資源の分散供給を確保しようとしている。中国は日本と違って戦略的で、長期的な見方に長けているとはよく言われるが、その方針は2001 年の9・11 危機が影響したとみる人が多い。9・11 によって、不安定な中東の石油供給に60%以上を依存する中国の政策の偏りが明らかになったからである。
自国がエネルギー資源国ではないことを痛感した中国は、まず他国の資源を積極的に買わなければならないと考え始めた。当初は石油・資源企業が、原料確保のためにアフリカ、中央アジアおよび南米へ赴く程度だったが、世界的な資源ブームが始まってからは、露骨にアフリカ資源の獲得に走った。
「日本人は短期的な予測に強く中国人は長期的な発想に強い」と言われるように、現時点では残念ながら、日本の外交は近視眼的と言わざるをえないと感じるのは私だけだろうか? 日本の外務官僚は、短期的な机上の分析はすばらしいが「内弁慶の外すぼみ」。アフリカの現場に行くと、中国人のようにアピールするのが不得手なので、アフリカ人には中国よりも下に見られている雰囲気である。
本来なら外務官僚になるくらいの優秀な人材なら「着眼大局、着手小局」の発想を持っていないといけないが、どちらかというと「三現主義」(現場、現物、現実)というより「言われたことを忠実に実行する」人材になり、迫力不足なのである。もちろん「杉原千畝」氏のような反骨精神を持っている外務官僚もいることは承知している。佐藤優氏の著書を参考にすると、外務省はよほどプレッシャーの強い組織なのかと想像するしかない。
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