「倒れるまでラーメン作りを続けたい」 盛岡が誇る老舗ラーメン店の創業者が84歳で逝去。「生涯現役」を貫いたレジェンドが、次世代に残した"教え"

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キムチと納豆という、敬遠されがちな食材を掛け合わせる大胆さ。近隣店と同じ土俵で競うのではなく、比べられない存在になるという戦略。それは現在のラーメン業界で語られる“オンリーワン”の思想を、何十年も前に体現していたことを意味する。

さわや書店本店の3階にあった時代の「柳家」
さわや書店本店の3階にあった時代の「柳家」(写真:筆者撮影)

盛岡は麺の都だ。椀で食べる「わんこそば」、満州由来の「盛岡じゃじゃ麺」、朝鮮半島から伝わった「盛岡冷麺」。いわゆる盛岡三大麺が全国的な知名度を誇る一方、ラーメンは昭和初期から続く醤油ラーメンの名店が支えてきた。

この三大麺が名を馳せる盛岡にあって、「キムチ納豆ラーメン」という唯一無二の一杯でラーメン文化を打ち立てた功績は大きい。ご当地ラーメンと呼ばれるものがなかった時代に、自らの手腕で風穴をあけた。

柳家の看板
和一さんの「いらっしゃいませー!」の大声でお客さんは3階の店舗に引き込まれていった(写真:筆者撮影)

やがて経営は軌道に乗り、1980年代には、「キッチンあべ」のカツカレー、「とんかつ熊さん」のスタミナ味噌ラーメンと並び、「柳家」は盛岡のソウルフードとして語られる存在となった。

3階まで客を呼び込むために、和一さんが階下へ向かって張り上げる「いらっしゃいませー!」の大声は名物となり、「オヤジさんに会いに来た」と語る常連が増えていった。

和一さんと妻・良子さん
和一さんと妻・良子さん(「柳家」提供)
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