「倒れるまでラーメン作りを続けたい」 盛岡が誇る老舗ラーメン店の創業者が84歳で逝去。「生涯現役」を貫いたレジェンドが、次世代に残した"教え"

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店を救ったのは、若き日に味わった記憶を頼りに生み出した「納豆ラーメン」だった。

ラーメン
盛岡名物にもなっている「納豆ラーメン」(写真:筆者撮影)

10代の頃、盛岡駅前の仕出し屋で丁稚奉公をしていた時代に出会った「納豆汁」の滋味を、丼の中で再構築した一杯。やがてそれをベースに、女将・良子さんのひらめきからキムチを合わせる発想が生まれる。発酵食品同士の相乗効果が生んだ「キムチ納豆ラーメン」は、「柳家」の代名詞となった。

大信田和一さん
(写真:筆者撮影)

唯一無二の一杯でラーメン文化を牽引

ただし、その誕生の物語以上に重要なのは、和一さんの姿勢である。

「誰が食べても美味しいというものを追いかけるよりも、10人食べたら1人が強烈に美味しいと思うものを作るべきだ」という言葉からも明確にわかる通り、「誰にでも好かれる味」よりも、「強烈に刺さる味」を選ぶ。「こんなのラーメンじゃない」との声もあったが、やがてその一杯は盛岡の味として定着していった。

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