政治は、常に、いわば自己実現のために日本経済の資金を使っている。自分勝手すぎる。選挙のため、というだけでなく「『ザイム真理教』でなく政治がやっている、わたしがやっている」、という姿を見せたいためにやっている。
財政支出がすべて失敗に終わると言える「2つの理由」
政府が民間よりもより良い投資ができるという事実があって初めて、政府の財政出動が経済成長に資すると言える。だが、21世紀に入ってから、そのような投資は、少なくとも日本では見たことがない。
「今度は違う、this time is different」というときは、必ず、今度も失敗するというサインであるが(ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授が著書のタイトルにして有名な言葉にしたが)、高市首相も、いままでと違う、と強調しているが、それは「今までにないほど無謀」という意味では正しいかもしれない。
これは皮肉でもなんでもなく、明らかに間違った考え方に基づいているからだ。現在の高市政権で、財政支出がすべて失敗すると言える理由は2つある。
第1に、政府が主導なのか、民間主導なのか、はっきりしないこと。はっきりしない、ということは、民間にリーダーがいるわけではない、ということになる。そして、政府主導で成功したプロジェクトは、21世紀のいわゆる西側社会(欧米および日本)には存在しない。
第2に、具体的な大規模プロジェクトが挙がっていない。積極財政という理念だけを主張し、具体的な主張がない。それは絶対やりたいプロジェクトも、絶対成功する自信のあるプロジェクトもないからだ。つまり、積極財政をやること、それをスローガンとして叫ぶことが目的となっている。
「責任ある積極財政」という言葉は、「気合いだ、気合いだ、気合いだ!」と叫んでいるのとほぼ同義なのである。
これこそ、太平洋戦争に負けた理由とまったく同じだ。『失敗の本質』という、一橋大学・野中郁次郎名誉教授のチームの名著があるが、誤解を恐れず私に言わせれば、同書ではあの戦争を失敗ととらえているが、ある意味「失敗ではない」ということだ。
なぜなら「勝つこと」ではなく、「やること」「戦争をすること」、それによる軍部の自己実現が目的の大半であったから、華々しく散って、歴史に残ったことについては大成功なのである。
高市政権の問題は、右傾化したことではなく、目的が歴史に名前を残すこと、承認欲求、自己実現ということだけが目的と、非常にはっきりしている点だ。だからこそ、ここまで、政略的に大成功していて、あとは華々しく散るもよし、抵抗にあって無念の悲劇のヒロインになるもよし、なので、ほぼ目的は達したので、今後、日本経済が沈んでも失敗ではないのである。



















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