街を歩いていて印象的だったのが、不動産の「振れ幅」の大きさだ。
中目黒駅周辺には、芸能人が多く住んでいると噂されるタワーマンションがそびえる一方で、一本裏道に入ると、築年数の経った木造アパートやワンルームの賃貸物件も珍しくない。実際、不動産サイトを見てみると、時期や条件によっては1Kで8万円台の物件も確認でき、決して「富裕層しか住めない街」というわけではないことがわかる。
ただし、街全体を見渡すと、住居費や日常の物価水準はやはり都内平均より高めだ。高級住宅街や洗練された飲食店が集まるエリアと、庶民的な住宅街が隣り合うことで、「選択肢の幅」は確かに存在している。
しかしその一方で、目黒川沿いを日常的に使う「おしゃれなナカメらしい空気感」を無理なく享受するには、一定のコストを引き受ける覚悟も必要になる。
つまり、中目黒は「おしゃれ一色の街」なのではなく、高級住宅街、庶民的な住宅街、そして消費を楽しむエリアが役割分担された街なのだ。生活と消費が分かれているからこそ、「住める人」と「使う人」が混在する独特の景色が生まれているのだろう。
中目黒はもともと「生活と労働の街」だった
では、いつから中目黒はおしゃれなイメージを持つようになったのか。歴史をさかのぼると、現在の「おしゃれ」「芸能人の街」というイメージからは想像しにくいが、中目黒はもともと華やかな消費の街ではなかった。
明治から大正にかけて、この一帯は軍需や工業を支える実務的なエリアとして発展してきた。明治24年には目黒川沿いに軍用麦粉工場が設置され、その後も日本麦酒醸造会社(現・サッポロビール株式会社の前身)や大薬製造など、大規模な工場が次々と進出している。
当時の目黒川は、今のような「花見の名所」ではなく、三田用水の一部として農業や工業を支えるための実利的な川だった。染物職人が川に入り、反物を洗う「友禅流し」が行われていたことからも、この川が生活と労働に密着した存在だったことがわかる。
街の性格を大きく変えたのが、1923年の関東大震災だ。都心部で家を失った人々が住む場所を求めて流入し、周辺の農地は急速に住宅地へと姿を変えていった。


















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