伝説の床山、後世に残る「神業」ができるまで 高校中退し相撲の道へ、床寿さん50年の軌跡

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しかし、力士が多かったことが幸いした面もあった。床山の人手が足りなかったので、見習いの床寿さんもほどなく丁髷を結う仕事を任され、入門して1年ほどで大銀杏も任されるようになったからだ。通常は大銀杏を結えるようになるまで、最低でも3年ほどはかかるという。

「床山になっていちばんうれしかったのが、自分の結った大銀杏を見たときだね。あの感激は忘れられないね」

このとき床寿さんは「俺の結った大銀杏が映るから、どこかテレビのあるところで見てくれ」と書いた手紙を母親に送ったという。青森の生家にはまだテレビがなかったのである。

ラーメンをおごって、練習台になってもらった

美しい大銀杏を結うには、器用さとセンスが欠かせない

床山としての仕事は毎日ある。髷を結うだけではない。力士の髪が長くなりすぎたときは、それを切って整えるのも床山の仕事だ。通常、力士は理髪店にはいかないため、力士の髪に関わることはすべて床山の仕事といってもいいだろう。

髪が薄くなって髷が結えなくなったら引退、という不文律が大相撲の世界にはある。もっとも日向端さんは「髷が結えなくて引退した相撲取りは、自分の知る限りいない」と言う。逆に髪が多すぎると、これはこれで大銀杏をきれいに結えない。そのときは中剃りといって、頭頂部の髪を剃刀で剃って少なくする。もちろんそれも床山の仕事である。

1年で大銀杏も任されるようになったのは、それだけ技量が向上したからでもあった。少しでも早く腕を上げたいと思っていた床寿さんは、若手力士に「ラーメンをおごるから」と言って、よく練習台になってもらった。人一倍の努力をしたのである。

番付社会の相撲界では、床山にも5等から特等まで6段階の格付けがある。最高位の特等になれるのは、勤続45年以上、年齢60歳以上で特に成績が優秀な床山だけだ。床寿さんは特等まで上り詰めたうえ、現役時代にはその技術が「神業」と形容されたほどの人である。

「器用さとかセンスが必要な仕事。いくら練習しても、駄目な奴もいるよ。俺は今でも日本一だと思っているよ」。日向端さんはそう豪語する。

実際、相撲界には床寿さんに一目も二目もおく力士が数多くいた。なかでも床寿さんを「大先生」と呼び慕っていたのが、あの朝青龍であった。次回はその朝青龍を始め、高見山、小錦など、往年の名力士たちと床寿さんのかかわりや、床寿さんが相撲界に残した功績について紹介する。

※ 後編は2月6日(土)の掲載予定です。お楽しみに!

崎谷 武彦 フリーライター

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さきたに たけひこ / Takehiko Sakitani

東京都出身。出版社、編集制作会社を経て、1984年からフリーランスライターとして活動。経済誌、PR誌、パンフレット、会社案内、社史などの原稿・コピーをライティング

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