自分が嫉妬の炎を向けている相手を検証してみれば、戦うフィールドも次元も違えば、生まれた環境、立場、違うことだらけだ。「年齢」や「同じ職場」など、嫉妬の源となっているたまたま同じだった項目以外、すべて異なるのだ。
学生時代の友人など、そのほとんどは、人生のほんの一瞬、同じ学校に在籍していただけ。ママ友に至っては、子どもの年齢がたまたま近かっただけ。今もこれからも、それぞれの人生を生きているだけの他人だ。
何より、である。そもそも先方はコチラをライバルなどと捉えていない。歯牙にもかけていないのだ。ごく些細な共通項を頼りに、相手と自分が「同じフィールドにいるライバル」と錯覚しているのは、みっともなく、恥ずかしい。
自分にぴったりな「自尊心のサイズ」はどれくらいか
分不相応なプライドを振りかざして悔しがるのは、似合いもせぬのにオーバーサイズの服を羽織っているようなもの。「自分はこうありたい・こうあるべき」という願望や期待が盛りに盛られた、ブカブカのコーディネートに堕していないだろうか。
実際の服と違い、自分がどんなプライドを身にまとっているか、顧みる、チェックする機会はなかなか訪れない。プライドを映す鏡など、白雪姫の物語で継母の女王がのぞき込んだ1枚くらいだろう。
自分にぴったりな自尊心のサイズはどれぐらいか。燃え盛る嫉妬を消せずに悩まれている方はまず、そこから考え始めてみるのはどうだろうか。

