母である"なか"は天皇と関係を持ち…秀吉は天皇の子? 大河ドラマ「豊臣兄弟!」 成り上がり兄弟をつくった父の正体

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なかの父母は都にて朝廷に仕える萩中納言という公卿でした。ところが、なかが3歳の時、いわれのない密告により、遠流となってしまいます。

そして、尾張国飛保村雲に流され、日々を過ごします。不遇の時を過ごすなかの一家ですが、年少の頃になかは上洛します。

そして朝廷に仕えるのです。3年間の宮仕えを経て、なかは下国します。その後、しばらくして生まれたのが秀吉だというのです。直接的には書かれてはいませんが、宮仕えの時に、なかは天皇と関係を持ち、それで生まれたのが秀吉だというのです。

「秀吉は天皇の子」説の信憑性

この説を載せるのが、秀吉に御伽衆として仕えた播磨出身の大村由己の著作『関白任官記』(1585年)ですが、史料の信憑性は低く、荒唐無稽の説とされています。なかは、尾張国御器所村(名古屋市昭和区)に生まれたとする見解(『太閤素性記』)がありますが、御器所は弥右衛門が住む中村と遠距離というわけではありません。御器所に生まれたなかが、何らかの縁あって、中村の百姓・弥右衛門に嫁ぎ、秀吉を生んだと考えるのが妥当でしょう。

弥右衛門の病死後、なかは、織田信秀の御伽衆・筑阿弥に再嫁したとされています。秀長はこの筑阿弥となかとの間に生まれた子とも言われていますが、それを否定する見解もあります。

と言うのも、弥右衛門の没年が前述したように天文12年(1543)と考えられているからです。秀長の生年は天文9年(1540)で、弥右衛門はまだ生きています。この事から、秀長は弥右衛門となかの間に生まれたとする見解もあるのです。

秀長は秀吉の「異父弟」ではなく「同父弟」だったというのです。秀吉の出生や少年期については不明な点が多いですが、秀長もそれは同じです。前半生が謎に包まれた「豊臣兄弟」は、如何にして天下を統一するまで、成り上がったのでしょうか。

(主要参考文献一覧)
・渡辺世祐『豊太閤の私的生活』(創元社、1939年)
・桑田忠親『豊臣秀吉研究』(角川書店、1975年)
・桑田忠親『桑田忠親著作集』第五巻(秋田書店、1979年)
・桑田忠親編『豊臣秀吉のすべて』(新人物往来社、1981年)
・新人物往来社編『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社、1996年)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007年)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013年)
・柴裕之編著『豊臣秀長』(戎光祥出版、2024年)
・濱田浩一郎『秀吉と秀長 天下統一の軌跡』(内外出版社、2025年)

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro

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