母である"なか"は天皇と関係を持ち…秀吉は天皇の子? 大河ドラマ「豊臣兄弟!」 成り上がり兄弟をつくった父の正体
秀長は天文9年(1540)に生まれたとされます。天文9年というと、後に秀吉が仕えることになる織田信長はまだ6歳の少年であり、徳川家康などはまだ生まれていません(家康の生誕は天文11年)。
翌天文10年(1541)には、甲斐国の武田晴信(信玄)が父・信虎を追放し、家督を相続する、そんな時代でありました。
諸国に群雄が割拠し、乱世の終わりはまだ見えない。そうした時代に秀長は生まれたのです。繰り返すように、秀長の兄は秀吉ですが、秀吉の生年に関しては諸説ありました。
かつては、彼の生年は天文5年(1536)1月1日とされてきました。しかし現在では、天文6年(1537)2月6日生まれ説が有力となっています。この説に則るとすると秀長は、秀吉の3歳年下ということになります。
秀吉の父はおそらく百姓
秀吉は、尾張国中村(愛知県名古屋市中村区)の百姓・弥右衛門の子と言われています(ちなみに近年では弥右衛門は当初、百姓ではなく織田家に仕えていた在村の被官だったとの説も出ています)。弥右衛門はかつては「木下弥右衛門」と表記されることがありましたが、現在では「木下」姓を取って「弥右衛門」とのみ書かれることが多いようです。秀吉が長じて「木下」姓を名乗ったことから、父にも「木下姓」が付けられていました。弥右衛門が木下姓を名乗った訳ではないので「木下」姓が取られるに至ったのでしょう。
ちなみに、弥右衛門は百姓でしたが、織田信秀(信長の父)に動員されて、合戦に参加することもあったようです。百姓としての貧しい生活のなか、合戦に従軍し、負傷。療養生活を送っていましたが、天文12年(1543)に亡くなったとする説があります。
秀吉の母は、なか(後の大政所)という女性ですが、なかの前半生についても詳しいことは分かりません。しかし、次のような逸話が残っています。


















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