喉頭がん、失った声…「落ち込むより高揚した」ロックスター吉井和哉50代の生き方。栄光を脱ぎ捨て考える"ロックは何を与え、何を奪ったか"
そして彼は、URGH POLICE時代の楽曲を40年ぶりに一緒に演奏しようとEROに提案する。
「当時はよく演奏も含めディスられましたね。でも、どこかで認められたい気持ちもあった。それでも、ただずまいも、音楽の聴き方も、全部が師匠なんです」
カメラは、その2人の“まだ終わっていない物語”を、ただ静かに見つめ続けた。そして編集を終えた映像を観たとき、吉井の胸に確信が生まれた。
「自分の足跡は、ちゃんと未来につながっているんだ。EROの教会でのライブと、THE YELLOW MONKEYの東京ドーム。それぞれが別々のゴールに向かっていく軸が見えたとき、“このドキュメンタリーは大丈夫だ”と確信しました」
「がんが発覚した瞬間、落ち込むより高揚していた」
映画のポスターに添えられた一節。
“人生の7割は予告編で 残りの命 数えたときに本編が始まる”
この言葉が生まれたのは、喉頭がんの診断を受けて間もない頃だった。
「極端かもしれないけれど、これはあくまで僕の場合。落ち込むより、高揚したんです」



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら