喉頭がん、失った声…「落ち込むより高揚した」ロックスター吉井和哉50代の生き方。栄光を脱ぎ捨て考える"ロックは何を与え、何を奪ったか"

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闘病を挟みながらも、吉井は曲づくりを続け、リハーサルを重ね、不安と向き合いながら一歩一歩、音へと戻っていった。そしてついに迎えた“復活の日”──スタッフやファンの祈りが集まる東京ドームのステージは、確かに映画のハイライトだ。

けれどカメラが追っていたのは、その瞬間だけではない。むしろその奥に横たわるもの。

恩人への恩返し。そして、長い時間の向こう側に置き去りにしてきた“未完の青春”だった。

静岡に置いてきた“未完の青春”が、再び鳴りはじめる

みらいのうた
©2025「みらいのうた」製作委員会

10代の吉井が最初に“音楽の熱”を知ったのは、ベーシストとしてURGH POLICEに加入した頃だ。薄暗いライブハウスの中央で吠えるように歌うボーカルERO──その姿に、ただ圧倒されるしかなかった。

「EROさんを見て、“音楽ってこういうものなんだ”と思ったんですよ」

やがてURGH POLICEは自然消滅し、吉井はそこで出会った仲間とTHE YELLOW MONKEYを結成。一気に成功への道を駆け上がっていく。一方のEROは静岡に残り、働きながら音楽を続けた。

同じ場所を出発した2人の人生は、やがて別々の軌道へ。それでも、吉井には消えない感覚があった。

「違う道を歩いたけど、どこかでずっとつながっている気がしていたんです」

その“見えない縁”が姿を変えたのは2021年。EROが脳梗塞で倒れたという知らせが届いたときだった。

「EROのために、何ができるだろう」

胸の奥で燻り続けていた“原点への負債”のような思いが、静かに吉井の背中を押した。

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