喉頭がん、失った声…「落ち込むより高揚した」ロックスター吉井和哉50代の生き方。栄光を脱ぎ捨て考える"ロックは何を与え、何を奪ったか"
闘病を挟みながらも、吉井は曲づくりを続け、リハーサルを重ね、不安と向き合いながら一歩一歩、音へと戻っていった。そしてついに迎えた“復活の日”──スタッフやファンの祈りが集まる東京ドームのステージは、確かに映画のハイライトだ。
けれどカメラが追っていたのは、その瞬間だけではない。むしろその奥に横たわるもの。
恩人への恩返し。そして、長い時間の向こう側に置き去りにしてきた“未完の青春”だった。
静岡に置いてきた“未完の青春”が、再び鳴りはじめる
10代の吉井が最初に“音楽の熱”を知ったのは、ベーシストとしてURGH POLICEに加入した頃だ。薄暗いライブハウスの中央で吠えるように歌うボーカルERO──その姿に、ただ圧倒されるしかなかった。
「EROさんを見て、“音楽ってこういうものなんだ”と思ったんですよ」
やがてURGH POLICEは自然消滅し、吉井はそこで出会った仲間とTHE YELLOW MONKEYを結成。一気に成功への道を駆け上がっていく。一方のEROは静岡に残り、働きながら音楽を続けた。
同じ場所を出発した2人の人生は、やがて別々の軌道へ。それでも、吉井には消えない感覚があった。
「違う道を歩いたけど、どこかでずっとつながっている気がしていたんです」
その“見えない縁”が姿を変えたのは2021年。EROが脳梗塞で倒れたという知らせが届いたときだった。
「EROのために、何ができるだろう」
胸の奥で燻り続けていた“原点への負債”のような思いが、静かに吉井の背中を押した。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら