「"自己責任"時代のアイドル」「あまりにハイリスクなプロジェクト」 20周年を迎えた《AKB48》が歩んできた"残酷すぎる"アイドル道
「第76回NHK紅白歌合戦に、AKB48の出場決定」というニュースが飛び込んできた。
AKB48の現役メンバーに加えて、20周年を記念し、前田敦子、高橋みなみ、小嶋陽菜、板野友美、峯岸みなみ、大島優子、柏木由紀、指原莉乃も出場するという。
もう20年も前、いや、まだ20年前なのか。
2005年、秋元康氏が「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーで、秋葉原発のアイドルプロジェクト「AKB48」を始動したとき、
私は、
「流行るわけがない」
と高をくくっていた。
秋元康と聞いてすぐ頭に浮かんだのが1985年、風のように現れ、87年、風のように去っていった「おニャン子クラブ」。彼女たちの素人感は地上波ギリギリだったが、それが逆に新鮮でブームとなった。
しかしあの頃はバブル。時代が違う。それに、05年はすでにプロ意識の高い「モーニング娘。」をはじめとしたハロプロ軍団がいた。
「小娘たちは帰りましょうね」
実際、AKB48はブレイクまで時間がかかり、07年の紅白歌合戦には、中川翔子、リア・ディゾンとともに「アキバ枠」として初出場したものの、次の歌唱の米米CLUB・カールスモーキー石井が彼女たちに
「はい、おうちの方が心配してますよ、小娘たちは帰りましょうね」
と冗談で言うほどの認知度だったのである。



















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