映画「国宝」で話題!歌舞伎はどのようにして誕生したのか? 「男装の出雲阿国が舞い、遊女歌舞伎も…」民衆を熱狂させた華やかで淫靡な世界
そして阿国という女性が「男」を演じる倒錯もまた人々の感覚を刺激したと想像されます。
阿国の歌舞伎踊りを描いた17世紀成立の「阿国歌舞伎図屏風」(京都国立博物館蔵)には京都北野社の能舞台を代用して踊る阿国の姿が描かれていますが、阿国は刀を肩にかけ腰に脇差をさし踊っています。
頭には鉢巻、手には扇を持っています。これは単なる男装ではなく、当時、町々を横行していた「かぶき者」の格好だったと言われているのです。
そうした最新の流行(ファッション)を取り入れたことも阿国の歌舞伎踊りが耳目を集めた理由と想像されます。
「阿国歌舞伎図屏風」には笛、小鼓、大鼓を奏でる芸能者も描かれていますが、そうした音楽もまた都の人々の耳を刺激したことでしょう。宗教的要素、性倒錯、最新の流行といった様々な要素を取り入れて歌舞伎踊りは人々の前に姿を現したのです。そして阿国の歌舞伎踊りは様々な形に派生していきます。
「遊女歌舞伎」が人々を虜にする
前述の『京童』では「たはれめ」(歌舞で人を楽しませる女、または遊女のこと)の舞は男性の心を腑抜けにし、果ては「父母の養」を顧みない人々を登場させたと記されています。阿国の歌舞伎踊りに続いて遊女屋による「遊女歌舞伎」が起こり、人々を虜にしていたのです。
「遊女歌舞伎」は歌舞伎劇と売春を兼ねるものになっていたのでした。よって風俗びん乱のもとになるとして、徳川幕府は寛永6年(1629)にこれを禁止するに至ります。遊女をめぐる喧嘩口論が絶えなかったことも禁止された理由でしょう。芸能というのは華やかさと共に淫靡さもまた内包しているものです。その点もまた人々を惹きつけたと言えるでしょうか。
(主要参考文献一覧)
・戸板康二、郡司正勝『歌舞伎 その歴史と様式』(日本放送出版協会、1965年)
・橋立亜矢子「かぶき踊の源流とその虚構性」(『日本文學』108、2012年)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら