"第二次英仏戦争"を勝利に導き、その後の大英帝国の繁栄を支えた「イギリス国債」という強力な武器
17世紀は、経済史の観点でいうと"オランダの世紀"ともいわれるくらいにオランダ経済が発展した時期にあたります。オランダがはるばる日本にまでやってきて、江戸時代の日本と交易を続けた唯一の西洋国家となったのもこのころですね。
ちなみに、債券だけでなく株式会社制度の起源もオランダとされていて、現在の資本主義経済は当時のオランダから始まったと考えることができます。それをのちに引き継いだのがイギリスです。
1688年のイギリス名誉革命では、イギリス王家出身のメアリー2世とともに、夫であるオランダ総督オラニエ公ウィレム3世(ウィリアム3世)もイギリス王位につきました。
ウィレム3世自身もイギリス王家とは血縁関係にありましたが、それにしても当時のイギリスはオランダ人を王位につけたということになります。
このあと、イギリスとオランダは当時強勢を誇っていたフランスに共同で対抗するとともに、経済的にも関係を深めていきます。
デフォルトに陥ることのなかった「イギリス国債」
1692年イギリスは、オランダを参考にして国債制度を創始します。
それまで欧州各国では、戦費の調達などで国王が金融業者からの借金を重ねていました。そしてその借金は、しばしば踏み倒されてきたのです。
スペインやフランスといった大国も例外ではありません。むしろ大国だからこそ、簡単に借金を踏み倒してしまったといえるかもしれません。
一方、イギリスの新しい国債制度では、議会が徴税権をもとにその利息の支払や元本の返済を保証します。実際に、イギリスの国債はその後1度もデフォルトに陥ることなく、金融業者たちの信用を勝ち取っていくことになります。
イギリスとフランスは、この名誉革命のころからナポレオン戦争に至るまで、130年ほどにわたる抗争の時代を迎えます。第二次英仏百年戦争と呼ばれているものです。



















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