会社にとっての優等生が、知らぬ間に「劣化版AI」に成り下がる決定的理由
実はその前段で、私はいくつかの施策を試し、うまくいかずに数千万円を溶かすような経験をしていました。しかし、その痛みを伴う失敗があったからこそ、「このパターンは顧客に響かない」「逆に、ここの訴求軸は反応が良い」という、極めて解像度の高い「顧客と市場の手触り感」を持っていました。
その「経験知」があったからこそ、失敗したときの10倍規模の投資という局面で、「これならいける」と確信を持って決断し、アクセルを踏み込むことができたのです。
こういった大きな決断は、経験知に基づいた確信がなければできません。手痛い失敗を積み重ねたからこそ、大きな勝負に出ることができた。まさに「肉を切らせて骨を断つ」というような話ですが、失敗を通じて得られる自分だけの経験知こそが、AIにはない価値になります。
AI時代には、痛みを伴いつつも経験知を積み重ねることが、人間の仕事の価値の源泉になるのです。
失敗は「損失」ではなく「検証費用」である
ともすれば、前段の数千万円の損失だけを見て「失敗だ」「無駄遣いだ」と評価を下してしまう組織も多いです。これは典型的な「減点主義」と言えます。
もちろん、すでにわかっていることを疎かにして、何も学べない失敗をすることにはあまり意味がありません。しかし、AI時代においては、この捉え方を根本から変える必要があります。
なぜなら、「事前に調べればわかるような失敗」と「やってみなければわからないことでの失敗」を、やる前から精緻に判断することは困難だからです。
特に、経験の浅いうちは、仮に前例があるようなことであっても、失敗しながら学んだほうが効率が良いことだってあります。「失敗=悪=減点」という構造は、こういった学習の可能性も潰してしまいます。
そうして大きな成功の前に小さな失敗を積み重ねるのは、単なる損失ではありません。正解にたどり着くために必要な「検証費用」です。
私が在籍していたサイバーエージェントでも「失敗経験を積む」という共通認識がありました。仮に上の人間から見れば自明のことであっても、若手がチャレンジするときにはあえて口を出さず、失敗から学ぶまで我慢するということも多くありました。



















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