教員も実感、小学校で「暴力行為18.6%増」過去最多の深刻《叱れない教師・親、理不尽に怒り散らす大人…》社会に広がる"叱れない構造"が影響か
さらに教育委員会も、「指導監督」から「支援・再教育」へと転換すべきです。処分して終わりではなく、何が起きたのかを丁寧に聴き取り、関係が壊れていたなら回復的対話(リストラティブ・プラクティス=関係を修復し、信頼を取り戻すための教育的対話)を導入する。叱った後のサポート体制を整えてこそ、現場に叱る勇気が戻ります。
管理職と教育委員会が「教師を信頼している」と示すこと、それ自体が最大の抑止力になるのです。これからの時代、教育は「処分文化」に終わりを告げて、「応援文化」へとシフトしていくことが求められます(「応援文化」は、私の友人で高校教師の坊佳紀先生が掲げている言葉であり、彼を中心に今全国で展開している「オモロー授業発表会」のスローガン「愛と調和のムーブメント」そのものです)。
教育は「人間の信頼」によって築かれる
暴力の増加は、社会の鏡です。教師だけを罰する社会は、子どもを守れません。親が成熟しない社会は、未来を育てられません。そして、教師を守らない学校は、信頼を失います。
それでも私は、教育にはまだ希望があると思っています。なぜなら、子どもも大人も「本当はわかっている」からです。人を傷つけてはいけないこと。叱られることが自分を立て直すきっかけになること。誰かに見守られていると頑張れること――その感覚は失われていません。私たち大人が、恐れて言語化していないだけです。
叱るとは、相手を矯正することではなく、人間の未熟さを一度自分のところで引き受ける行為です。
「あなたはこんな人で終わらない」と信じ、未来を託すこと。そして、それを行う教師を守るのは、管理職と教育委員会の「祈りのような仕事」です。失敗した人を切り捨てるのではなく、「次は一緒にやろう」と言って、応援できるかどうか。そこに教育の品位が宿ります。
教育とは、制度や指導要領で動くものではなく、人間の信頼によって築かれる希望の営みです。私たちが取り戻すべきは、子どもに踏み込む「叱る勇気」、その大人を支える「守る覚悟」、そして未熟を前提に人を信じる「祈りの姿勢」です。
今起きている暴力の増加を、一時的な「荒れ」として片づけるのではなく、「信頼をもう一度築き直すチャンス」として受け止められるかどうか。そこに、これからの日本の学校の分かれ道があります。
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