国分太一氏「異議申し立て」で問われる、"説明なき処分"に思考停止したテレビ局の是非
プライバシー保護の必要があるとはいえ、問題となった行為の概略すら一切報じられず、国分氏本人にもどの行為が問題となったのかが明かされていないのだとすれば、不誠実な対応だったと言われても仕方がないのではないか。
日本テレビがこのような対応をした背景には、テレビ業界に根深く残る「権力構造の偏り」がある。どんなに売れっ子であっても、タレントはテレビ局に絶対的に従属する立場に置かれており、起用や降板の最終的な決定権は局側にある。
しかも、出演契約についても曖昧な口約束や慣例に基づく部分が残っており、法的な透明性が欠けている。不祥事やトラブルが起きた際には、タレントが一方的に降板を告げられ、メディアは局側の発表をそのまま報じるだけであることが多い。本人の弁明や反論が伝えられることはほとんどない。
さらに、近年はコンプライアンス意識が高まっていることで、こうした一方的な判断が後押しされている側面がある。テレビ局は週刊誌報道やSNSなどによって問題が大きくなることを極度に恐れ、問題が起きた際には「すぐに鎮火する」「詳細は語らない」という防衛的対応を取りがちである。
だが、その結果として、何が問題であり、どう改善すべきかという本質的な議論が行われなくなり、「説明なき処分」が常態化している。
また、報道機関としての日本テレビの責任も問われる。本来、報道とは多様な立場の声を拾い、社会的な透明性を確保するためのものだ。しかし、この件では、当事者である国分氏の意見はほとんど報じられず、局側の説明だけが流布した。
しかも、他局も横並びでこれに追随するのみであり、批判的な視点を持った報道がテレビの中で行われることはほとんどなかった。
秘密主義を貫いた是非
もちろん、ガバナンス評価委員会は世間からこのような批判の声があがる可能性も理解している。本件については、情報の管理や関係者たちの名誉・プライバシーへの配慮が強く求められる事案であったために、今回の対応が最適だったと考えられる。「あくまでも本事案の特殊性・特異性に鑑みて了とされる」ものであって、今後もこの対応にならうべきではないという。
そうは言っても、大物タレントのトラブルという世間の関心が高い事案において、ここまでの秘密主義を貫く必要があったのかということは、改めて問われるべきである。国分氏の人権救済申し立てがどのような結果を招くのか、今後の報道にも注目だ。
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