「中国人の"日本永住希望者"急増」「高度外国人材の認定者数は9年で7倍に!?」→中国中流層の間で"美大ブーム"が起きる制度のカラクリ
李さんは、すぐに帰国を決めざるを得なかった。帰国後、地元の広州市にあるゲーム会社に就職し、イラストを描く仕事に就けたまでは、まだ良かった。だが、とにかく残業が多い会社で、「やることがあまりなくても、なぜか社内にダラダラと残る社員が多く、私も毎朝9時から夜9時までは、仕方なしに会社に残っていました」と、振り返る。
「日本ではポジティブになれた」
「中国の企業は、本当に生産性が低いと思いました。私にはとても理解できませんでしたね」。そんな思いを抱えながら、李さんは約1年間、悶々(もんもん)とした日々を中国で過ごす。だが、彼女はどうしてもあきらめ切れなかった。考えた末、再び日本行きを目指す。そして新型コロナの収束を待ちながら、中国からでもオンラインで受けられた京都芸術大学の大学院試験に見事合格。2023年4月から京都での学生生活をスタートさせた。
「中国にいた頃は、少し考え方がネガティブになっていました。それが日本に来てからは、日本で働きたいという明確な目標ができ、考え方がすっかりポジティブになりました」。李さんは中国で過ごした日々を振り返りながら、目を生き生きと輝かせた。
「私には日本の生活が合っています。自分で描いたゲームキャラクターを将来、世の中に送り出すのが今の夢です」。大学院修了をにらみ、2024年から始めた就活では、日本のゲーム会社ばかりを10社ほど受けたという。その中から、内定をもらった東京のゲーム会社で働くことが決まり、李さんは「ずっと日本で働きたいです。中国に帰ることはもう考えていません」と明かした。
なるほど。ここまでの話なら、世の中にはまあ、そんな中国の若者もいるだろう、で終わってしまう。だが「本題」はやはり、ここからだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら