「現在も飲食店でバイト」 Amazon新番組でコメント光るYOUの《芸能界生存戦略》ダウンタウンと共演で胃潰瘍…も"忠誠心が私のエナジー"

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これにYOUが「この夜で最後です」「首に今もう跡がギュウギュウついてるので、早く逃げ出さないと呼吸困難になる」と率直にアレルギー反応を示したほか、紗南と曖昧な関係にあった33歳の男性が交際に踏み込まないことに関連して「男の子の33は、もう中2。中2です」とキラーワードを放ってスタジオを沸かせていた。

かねてYOUのユーモラスな発言は、突飛に感じるものの妙にリアルで老若男女問わず不快感を与えない。その持ち味は、令和になった今も健在だった。

【画像を見る】歌手としてデビューするもすぐに脚光を浴びたわけではないYOU。「FAIRCHILD」の結成を機にボーカリストとして徐々に存在感を示し始める。

全部吸い込んで、己の汁にしていった

原宿でスカウトされ、モデルとして芸能活動をスタートさせたYOU。その後、ラジオや舞台に出演し、1985年に本名の「江原由希子」名義で歌手デビューを果たすも、脚光を浴びるには至らなかった。

1988年、テクノポップバンド「SHI-SHONEN」の中心人物だった戸田誠司から誘われる形で「FAIRCHILD」を結成。戸田がベースを務める3人組のバンドで、YOUはボーカリストとして徐々に存在感を示し始める。

Fairchildアルバム『ラブ・シックは好き』(写真:Amazon music)
FAIRCHILDアルバム『ラブ・シックは好き』(画像:Amazon music)

大きな転機は、1990年にラジオ番組『MBSヤングタウン』で木曜のパーソナリティーだったダウンタウンのアシスタントに起用されたことだ。当初は、大好きだったダウンタウンのふたりに存在していないかのごとく扱われ、ストレスとプレッシャーから胃潰瘍になってしまったという。

しかし、この逆境がYOUの笑いのセンスを鍛えた。6週間後、ようやく会話に入れてもらえるようになると、がむらしゃらにふたりに飛び込んでいった。その心意気とセンスを買われ、翌1991年からは『ダウンダウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)のレギュラーに抜擢された。まだバンド活動を続けていたことから、イメージに合わないと事務所から反対されたが「でも、私はやります」と言い張った。

以降、YOUはバラエティータレントとして、また当時の若手芸人の“姉さん”として独自のポジションを築いていく。

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