あのNHK気象キャスターは、努力の人だった 夢を諦めなかった女性の試行錯誤の15年
大学では宇宙化学研究室に所属。当時から科学番組が好きだった井田さんは、自然の美しさや科学の楽しさを伝える仕事を目指し、放送業界を志望した。しかし、就職活動では放送局は全滅。井田さんが入社したのは製薬会社だった。
「テレビ局には入れませんでしたが、キャスターの道を諦めたわけではありませんでした。キャスターになるには、今の自分ではダメなんだ。何かほかの人にないものを身に付けなくちゃ。そう考えて、就職浪人ではなく、企業に入る道を選びました」
やりたいことができないのは、それを実現するために必要な何かが欠けているから。足りないものに気づいて、それを身に付ければできないことは何もない。それが、井田さんの持論だ。事実、MRとして多くの医師と渡り合った1年間は、苦手だったプレゼンテーション能力を鍛える絶好の機会となった。
そして新卒1年目、地方局の求人に応募。学生時代より遥かに磨かれたプレゼン能力が認められ、NHK静岡放送局に契約キャスターとして入局した。料理番組や旅番組を任され、念願だった伝える仕事の面白さに夢中になる日々。だが、3年目を迎えるころから自分の中である想いが湧き上がっていることに気づいた。
「私は単にキャスターがやりたかったわけじゃない。仕事を通じて本当に伝えたかったのは、自然の美しさや科学の楽しさ。また、防災意識の高い静岡という土地で働く中で、自然の恐怖を伝える災害報道こそがテレビのいちばんの使命だと考えるようになりました。この2つの想いをかなえるために目指したのが、気象キャスター。そのために気象予報士の資格を取ることを決めました」
挫折も停滞も、夢をかなえるための準備期間
気象予報士と言えば、合格率約5%の難関資格。多忙なキャスター業の合間を縫って勉強をする日々は3年半も続き、試験には4度失敗した。人によっては途中で挫折してしまっても仕方がないようなハードな毎日を、井田さんはどうして乗り越えることができたのだろう。
「もちろん嫌になることはありました。でも諦めるという選択肢はなかった。なぜなら、自然の美しさや恐怖を伝えるという夢をかなえるためには、資格が絶対必要だったから。資格を取ることはゴールではなく、やりたいことをやるためのパスなんです」
5度目の挑戦でついに試験に合格した井田さん。だが、すぐに気象キャスターとして活躍できたわけではない。資格取得後も災害報道とは無縁の日々を送り、気象キャスターのオーディションに合格したのは2年後のことだった。