クルマ社会でモノレール奮闘、沖縄ご当地鉄道事情 戦前にあった“ケービン”の遺構が歴史を物語る

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……と、これにて沖縄の鉄道の旅は終わりである。那覇空港―てだこ浦西間を往復したとて、1時間半もかからない。あっという間の沖縄の鉄道旅。車窓から眺める那覇の中心市街地や首里城、浦添城跡といった風景は、本土の車窓から望むそれとはまったく違って沖縄らしさを楽しめて悪くない。

が、そうは言ってもゆいレールが走っているのは沖縄本島のいちばん南の端っこだけである。那覇と本島中部の名護を結ぶ鉄軌道計画があり、ルート策定などが進んでいる。しかし、いまのところ計画が具体化する目処はたっていないようだ。クルマ社会の沖縄のこと、中長距離を結ぶ一般的な鉄道が入り込む余地に乏しいということなのだろうか。

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かつて走っていた“ケービン”

そんな沖縄も、かつてはモノレールではなくレールと車輪の鉄道が走っていたことがある。1914年に最初の区間が開業した沖縄県営鉄道、通称“ケービン”だ。那覇をターミナルとして、東海岸の港町・与那原駅までを結ぶ与那原線、北へ延びて嘉手納までを結ぶ嘉手納線、本島南端の糸満までを結ぶ糸満線の3路線。加えて那覇港までの海陸連絡線があった。

軌間は762mmという、文字通りの軽便鉄道だったが、少なくとも沖縄本島南部における地域輸送の主役だった一時代があったのだ。

ゆいレールの旭橋駅前に保存されている沖縄県営鉄道の転車台。かつての那覇駅がこの付近にあったという(撮影:鼠入昌史)
【写真をもっと見る】かつて与那原、嘉手納、糸満へ路線を延ばしていた“ケービン”こと沖縄県営鉄道。わずかではあるが痕跡は各地に残っている
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