20世紀の緊縮策を担ったテクノクラシーは、イギリスの経済学者ラルフ・G・ホートリーに端を発している。
ホートリーは、第一次世界大戦後のイギリスの緊縮指針をなす基本書や覚書を執筆した人物である。彼には、財務省の有力高官であったバジル・ブラケットとオットー・ニーマイヤーが手引きとして存在し、彼らはイギリスの経済・金融政策担当財務大臣と密に通じていた。
一方、ローマでは、イタリア経済学派が緊縮策の手引きを行った。マッフェオ・パンタレオーニは、ファシズム政権下で経済学者グループを率いる大御所として君臨していた。
総帥ベニート・ムッソリーニは、パンタレオーニの弟子であるアルベルト・デ・ステファニに財務大臣として緊縮策を指揮する特権を与えた。イタリアの経済学者たちは、この機を存分に用い、「純粋経済学」による、自然法に等置される経済学派が猛威を振るった。
彼らは、民主的な手続きにいちいち煩わされることなく、経済モデルをほとんどそのまま実地適用する点で、かつてない優位を謳歌した。時には、ムッソリーニの剛腕も相まって、政治的抑圧の鞭さえ手にすることができたのだ。
緊縮策が残した最悪の遺産「搾取」
緊縮策を「政策過誤」、すなわち内需と労働市場に圧迫をもたらす技量上の問題と考える経済学者も一部にいるが、この見方は、緊縮策のインパクトを不当に矮小化している
その繁栄と遺産は、今日に至るまで健在である。結局のところ、緊縮策の脚本に採録された財政、金融、産業の抱き合わせ政策は、労働階級そのものと、当該階級が待ち望む新たな社会経済体制に消えることなき弾痕を残している。
階層的な賃金関係の復活は、大多数にとって労働力を商品として売る以外の方法で暮らしは立ち行かず、それによって、その商品を買ってくれる雇用主が、労働力をどう用いるかに誰も口をはさめないという点で、緊縮策の決定要因をなしている。そうすることで、労働搾取率が上昇し、雇用者利益は急増することになる。
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