「交換ノートを続けてわかったのは、子どもたちはメッセージを投げかけると徐々に心を開いてくれるということ。授業中も、きちんと話を聞いてくれる子や、片づけに協力してくれる子が増えていきました」
さらに、教員にもあきらめずにコミュニケーションを試みる中で、味方になってくれる先生たちも出てきた。地道な働きかけが実を結び、このこと自体は満足していると篠原さんは語る。
「私は以前まで公立小で勤務していましたが、人事交流の話が来た時に『公立小の手本である国立小が変われば、今の教育も変わるかもしれない』と思い、オファーを受けました。その気持ちがあってこそ、想像以上の荒れように戸惑いながらも、頑張ることができていたのです」
一方で、一教員ができることは限られているとも感じるようになったという。篠原さんがいくら児童と向き合って心の叫びを紐解いても、次から次へと、小学校受験などのストレスを溜め込んだ子どもたちが毎年入学してくる。味方が増えたとはいえ、教員のヒエラルキーも強固なままだ。
「少しずつなら変えることはできるかもしれませんが、それだけの労力をかけて苦しい思いをして、果たしてどれだけのものが得られるだろう、と考えたら、続ける意欲がなくなってしまいました。公立小のお手本である国立小の正体を知ったことで、これ以上教育の道を進んでも良い人生にはならないと感じ、退職を決意しました」
篠原さんが辞めると知った児童たちは、口々に「やめないで」と引き止めに来たという。当初、毎日のように「死ね」と篠原さんを罵倒していた児童は、校長室に乗り込んで「先生をやめさせないでください」と校長に直談判までしたそうだ。
「正直、後ろ髪を引かれる思いはありました。でも、巨大な権力構造を持つ学校は、そう簡単には変えられません。それでも、交換ノートで変わってくれた子がいたように、子どもたち一人ひとりを幸せにすることはできると思うので、これからは個々人を支える人生を歩みたいと思っています」
その言葉どおり、篠原さんはカウンセラーの資格を取得し、一人ひとりの悩みに向き合う道へと進んでいる。「本当に自分がやりたかったことはこれだった」と語る篠原さんの表情は、非常に明るかった。
とはいえ、俯瞰して見れば、国立小の児童は、自分たちと正面から向き合ってくれた教員を1人失ったことになる。教頭が言い放ったように、学校側が本当に「1年目の教員は歓迎していない」のであれば、児童の感情は置き去りにされているともいえよう。
そして、こうした環境の学校が、次代の教員である教育実習生を多数受け入れているという事実も見逃せない。教員不足が深刻化している今、この話をいち教員のエピソードと軽視することなく、学校の在り方、子どもたちとの向き合い方、そして入試の在り方など、さまざまな問題のヒントと捉えるべきではないだろうか。
(文:高橋秀和、注記のない写真: タカス / PIXTA)
東洋経済education × ICT編集部
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