「無在庫経営」が早期の供給再開に役立った--いわき市の工場群が被災したクリナップ、生産本部長が語る震災の教訓

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「無在庫経営」が早期の供給再開に役立った--いわき市の工場群が被災したクリナップ、生産本部長が語る震災の教訓

システムキッチンを主力とする住宅設備メーカーのクリナップは、福島県いわき市に関連会社含め8カ所の生産拠点を持ち、昨年の東日本大震災直後には一時、岡山(岡山県勝央町)にある2工場を含め全工場が生産停止に追い込まれる甚大な被害を受けた。

強い揺れによる機械の損傷や床の陥没といった設備の問題に加え、水道ほかの社会的インフラ復旧の遅れ、原発事故直後の混乱など、さまざまな予期せぬ事態を経験。それでも、震災から1カ月後の4月11日には受注を再開し、6月には当初予定からは1カ月遅れながらも主力商品の新製品投入にこぎ着けるなど、短期間でリカバリーを遂げた。

震災直後から生産現場の陣頭指揮を執ってきた佐藤茂・取締役生産本部長に、復旧までの足取りと、そこからの教訓について聞いた。


佐藤茂・取締役生産本部長


--震災発生直後はどういう状況だったか。

3月11日午後、地震が発生したとき、私は東京に出張中だった。テレビ会議で現地の工場長と対策会議を行ったが、被害の全貌は見えない。私の自宅もいわき市の海岸から100メートルくらいのところにあり、家族の安否も気掛かりだったが、翌12日朝5時にようやく無事を確認。その日のうちに本社の車を借りて国道6号線でいわきに向かった。渋滞がひどく水戸まで10時間かかり、いわきに着いたのは13日に入ってからだった。

翌14日月曜日に、現地で対策本部を立ち上げた。被害の状況を調べたところ、工場内ではダクト配管や窓ガラスが落ちたり、一部機械が損傷したりといった被害があったが、工場内のケガ人はゼロ。ただ、客先を訪問中に津波で関係会社社員が1人亡くなり、家族を失った社員は少なくなかった。



湯本工場の天井


 ただ、地震の直接被害よりダメージが大きかったのは原発事故の影響だ。「放射能でいわきが全部やられた」といった風評まで流れ、30万人の市の人口が一時は半分くらいに減った。ガソリンスタンドやスーパー、コンビニなども閉鎖され、水道工事の作業員も寄り付かずに断水状態で、復旧はおろかまともに生活ができない状況だった。

従業員には自宅待機を言い渡したが、部門長には出社を呼びかけ、15~16人で工場内設備の復旧の段取りをしたり、各工場への物資の配布をしたりした。断水は4月上旬ぐらいまで続いたが、3月24~25日ごろには周囲の外食店やコンビニ、スーパーの臨時店舗なども徐々に再開し、原発も落ち着いたことから全社員に出社を呼びかけた。28日ごろからは復旧のスピードが上がり、4月頭には資材関係の調達のメドがついた。結局、津波被害で閉鎖した工場が1カ所あったが、それ以外はすべて、原発問題さえなければ3月中に品物が出せたのではないかと思う。原発事故で丸々2週間程度、遅れた印象だ。

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